12月の師走の中、神田沙也加さんの死の悲報が世間を駆け巡りました。
どうして、どうして、こうなったのか。
筆者を含め、多くのファンの方々がその悲しみに打たれたことでしょう。
本当に、本当に残念でなりません。
況してや、ご遺族や関係者の皆様の深い悲しみは察するに余ります!!
12月21日19時28分にサンスポが「神田沙也加さん密葬、事務所も報告 転落原因は公表控える「本人の名誉と周囲の影響を踏まえ」」の題で次のように伝えました。
『18日夜に急逝した女優、神田沙也加さん(享年35)の所属事務所は21日、公式サイトで「本日、ご親族のご希望により、密葬という形で家族にて葬儀を執り行わせていただきました」と報告した。
北海道警による検証結果について「事件性はなく、転落による多発外傷性ショックが死因であるとの報告を受けました」と伝え「転落の原因につきましては、神田本人の名誉と周囲の方々への影響を踏まえて公表を控えたく、お含みいただけましたら幸いです」とした。
そして「私共は神田との突然の別れに混乱しながらも、その事実と向き合い、神田を守れなかったという責任を真摯に受け止めております。神田の逝去に関して様々な報道がなされると同時に、ご心配のお声も頂戴しております。このような事態となりましたことを、お詫び申し上げます」とファンや関係者に謝罪。最後に「ご親族やご友人のプライバシーに関わるような記事の掲載、過剰な取材行為、インターネット上での根拠のない誹謗中傷に関しまして、お控えいただけますよう改めてお願い申し上げます」と配慮を求めた。
沙也加さんは17日から主演ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の出演のため、札幌市の22階建てホテルの高層階に宿泊。18日午前11時頃、関係者から「部屋に鍵が掛かっていて、中を確認したが神田さんがいない」と110番があり、警察官が午後1時頃、14階屋外部分で、心肺停止状態で靴を履かずに雪に埋もれた沙也加さんを発見。午後9時40分に搬送先の病院で死亡が確認された。
■神田沙也加(かんだ・さやか) 1986(昭和61)年10月1日生まれ。東京都出身。2001年、SAYAKA名義でCM「アイスの実」に出演し、芸能界デビュー。02年に歌手デビュー。06年に芸名を本名にする。14年にTRUSTRICKを結成し、19年に解散。昨年9月には女性歌手、黒崎真音(33)とALICesを結成。18年4月、第43回菊田一夫演劇賞を受賞。今年5月にはボカロカバー盤第3弾「MUSICALOID#38 Act.3」を発売した。157センチ。
(以下略)』
SNSには、在りし日の神田沙也加さんの動画とか、コンサート等でのエピソードをUPすされる方がおられ、噂以上に親子の絆を大切にされている面もあったかと存じます。
歌声も母親の松田聖子さん譲りの良い声でしたしね。
もう、筆者ですらも涙無しには視聴も出来ない位ですよ!!
このブログですら、泣きながら、執筆しています。
・・・・・・
さて、神田沙也加さんがこのように亡くなる原因や背景には、やはりかなりの孤独感や人間関係、喉の問題等が重なった可能性が指摘されています。
そして、筆者として皆様に申し上げねばならないのは、岡田有希子さんの自殺や中森明菜さんの自殺未遂に重なる悲劇である、という点です!!
同日11時00分にzakzak by 夕刊フジが「急死の沙也加さん、心の闇と男の影 共演男性との交際で悩み…心療内科に通院も 松田聖子、神田正輝“悲痛の対面”」の題で次のように伝えました。
『18日夜、札幌市内で急死した女優、神田沙也加さん(享年35)の死因はホテルからの転落による外傷性ショックだったことが明らかになった。事件性はないとみられ、警察は沙也加さんが自殺を図った可能性もあるとみて捜査を続けている。そんな中、沙也加さんが抱えていた心の闇がクローズアップされている。そして、両親も札幌入りし、無言の対面を果たしたという。
沙也加さんは18日午後1時ごろ、22階建てホテルの14階屋外部分で倒れているところを発見されたが、靴も履かず、雪に埋もれていた状態だったため、転落からある程度の時間がたっていたとみられる。
遺書のようなものは残されていなかったが、現場の状況から自殺の可能性も含めて捜査が続いている。21日付スポーツニッポンは、沙也加さんが心療内科に通院し、処方薬を服用することもあったと報じている。さらに沙也加さんが舞台で共演中の男性との交際に悩んでいたとも報じた。
「沙也加さんは離婚後、元ジャニーズJr.の男性と親密な交際が続いていました。そのときもかなりバッシングを浴びましたが、その男性とは今年春には別れたそうです。その後、共演男性との交際が始まったといいますが、この交際をめぐっても少なからず批判があったそうです。のどの不調も含めて沙也加さんが精神的に弱っていた可能性は高い」と芸能関係者は話す。
そんな中、父親で俳優の神田正輝(71)が20日、札幌入りし、沙也加さんと悲しみの対面を果たした。沙也加さんは死の直前、神田に誕生日を祝う電話をかけている。それだけに神田の悲しみは計り知れない。
そして母親の歌手、松田聖子(59)も極秘裏に札幌入りしたという。聖子も憔悴(しょうすい)が激しく、23~26日に大阪で予定されていたディナーショーも中止となった。大みそかのNHK紅白歌合戦の出場も危ぶまれている状況だ。
(以下略)』
一方、同日15時30分に同メディアが「中森明菜、後輩アイドルの岡田有希子さん自殺で過呼吸 「ジプシー・クイーン」レコーディングに狂い」の題で「歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡」の特集・連載項目にて、次のように伝えました。
『1986年4月8日。東京・青山のチェリーアイランドスタジオ。中森明菜のレコーディングでは必ず使用されるスタジオだった。
「小さなスタジオでしたが〝音入れ〟としては使いやすく、明菜もお気に入りでしたね」
ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)で担当ディレクターだった藤倉克己はそう振り返る。
この日は15枚目のシングル「ジプシー・クイーン」のレコーディングの追い込みに入っていた。発売日まですでに50日を切っていた。しかし過密なスケジュールを縫ってのレコーディングは藤倉にとって頭が痛かった。
「当時はテレビやラジオの音楽番組も多く、それ以上に雑誌の取材もありましたからね。明菜はトップ・アーティストだったのでスケジュール調整は至難の業だったのでしょう。しかも体力的にも弱い部分があったようですからね。そんな中でもレコーディングは最優先に近かったとは思いますが、それでも時間との戦いだったはずです」(当時を知る芸能記者)
この日のレコーディングは13時から予定されていた。
「明菜が着いたら、多少の打ち合わせをしてすぐに始めたい」
藤倉以下、制作スタッフは準備も完了し明菜の入りを待ち構えていた。
「今日は来るのが遅いなぁ…」
いつもなら30分前にはスタジオに入るはずの明菜が、この日はスタジオに入ってこなかった。フッと藤倉の頭に不安がよぎった。
「確か12時45分ぐらいになってからだと思うが、マネジャーが青ざめてきたんです。『今日はレコーディングはちょっと無理かもしれません』って。何があったのかと慌てて、明菜の元に駆けつけると、とにかく泣きじゃくってどうにもならない。レコーディングどころではないような状態でした」
一体、何が起きたのか? レコーディングのため、車でスタジオに向かう途中のことだった。カーラジオの臨時ニュースで人気アイドルだった岡田有希子さんの自殺が報じられたのだ。
「ラジオのニュースを聞いた途端、表情が一変し、その後は泣きじゃくって過呼吸状態に陥っていたようです。もちろんラジオの一報ですから、状況は分からなかったはずですが、明菜にとって岡田さんの自殺のニュースは衝撃でした。スタジオに着いたときは、とにかく『ユッコが、ユッコが…』と言うだけでしたから。この時点でレコーディングどころではありませんでした」(藤倉)
岡田さんは明菜と同じ日本テレビ「スター誕生!」の出身だった。
当時を知る音楽関係者は「岡田さんは親の反対を押し切って83年3月に行われた決戦大会に出場しました。そこで歌ったのが明菜のデビュー曲『スローモーション』だったのです。結果は後日発表でしたが、岡田さんの獲得に動いた芸能事務所はサンミュージックと明菜の所属する研音でした。一方、レコード会社はキャニオンレコード(現ポニーキャニオン)と日本テレビ系のバップが手を上げ、結果的にサンミュージックとキャニオンで決まりました。明菜にとっては同じ番組のオーディションで、しかも決勝戦で自分の曲を歌った岡田さんには親しみを感じていたようです。岡田さんのデビューは84年で2年後輩でしたが妹のように接していたそうです」と振り返るが、その部分は藤倉も認める。
「事件が起きるまで、意識はしていませんでしたが、思い返すと確かに岡田さんのことは後輩歌手の中でも気にかけて、かわいがっていたそうです。とにかく明菜は心根の優しい一方、人一倍感受性の強い子ですから、岡田さんのニュースは精神的にショックが大きかったと思います。心を落ち着かせるまでに、やや時間は要しましたが、いろいろと調整し何とか発売日に間に合うようにレコーディングもできました」
ところが、そんな中で制作された「ジプシー・クイーン」は業界内でも「いわくつきの作品」として注目された。 =敬称略 (芸能ジャーナリスト)
■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で合格し、82年5月1日、シングル『スローモーション』でデビュー。『少女A』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE―情熱―』などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。』
岡田有希子さんの自殺の報道やその後の社会に与えた衝撃は相当大きいものでした。
筆者もTVの第一報からその後の様々な報道、衝撃的な写真、悲しみのファンの号泣など、いろいろ観ています。
後年の報道等から、岡田有希子さんの自殺は恋愛関係などのもつれ等の原因からと見られています。
そしてその後、中森明菜さんも、当時交際していた近藤真彦氏とのもつれから、自殺未遂をしてしまった事はご承知の通りです。
神田沙也加さんの死は岡田有希子さんの自殺や中森明菜さんの自殺未遂に重なる悲劇!!
12月21日発行(12月22日付け)の夕刊フジ紙面
出典:こちら夕刊フジ編集局 ツイッター
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本当に、本当に残念でなりません。
況してや、ご遺族や関係者の皆様の深い悲しみは察するに余ります!!
12月21日19時28分にサンスポが「神田沙也加さん密葬、事務所も報告 転落原因は公表控える「本人の名誉と周囲の影響を踏まえ」」の題で次のように伝えました。
『18日夜に急逝した女優、神田沙也加さん(享年35)の所属事務所は21日、公式サイトで「本日、ご親族のご希望により、密葬という形で家族にて葬儀を執り行わせていただきました」と報告した。
北海道警による検証結果について「事件性はなく、転落による多発外傷性ショックが死因であるとの報告を受けました」と伝え「転落の原因につきましては、神田本人の名誉と周囲の方々への影響を踏まえて公表を控えたく、お含みいただけましたら幸いです」とした。
そして「私共は神田との突然の別れに混乱しながらも、その事実と向き合い、神田を守れなかったという責任を真摯に受け止めております。神田の逝去に関して様々な報道がなされると同時に、ご心配のお声も頂戴しております。このような事態となりましたことを、お詫び申し上げます」とファンや関係者に謝罪。最後に「ご親族やご友人のプライバシーに関わるような記事の掲載、過剰な取材行為、インターネット上での根拠のない誹謗中傷に関しまして、お控えいただけますよう改めてお願い申し上げます」と配慮を求めた。
沙也加さんは17日から主演ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の出演のため、札幌市の22階建てホテルの高層階に宿泊。18日午前11時頃、関係者から「部屋に鍵が掛かっていて、中を確認したが神田さんがいない」と110番があり、警察官が午後1時頃、14階屋外部分で、心肺停止状態で靴を履かずに雪に埋もれた沙也加さんを発見。午後9時40分に搬送先の病院で死亡が確認された。
■神田沙也加(かんだ・さやか) 1986(昭和61)年10月1日生まれ。東京都出身。2001年、SAYAKA名義でCM「アイスの実」に出演し、芸能界デビュー。02年に歌手デビュー。06年に芸名を本名にする。14年にTRUSTRICKを結成し、19年に解散。昨年9月には女性歌手、黒崎真音(33)とALICesを結成。18年4月、第43回菊田一夫演劇賞を受賞。今年5月にはボカロカバー盤第3弾「MUSICALOID#38 Act.3」を発売した。157センチ。
(以下略)』
SNSには、在りし日の神田沙也加さんの動画とか、コンサート等でのエピソードをUPすされる方がおられ、噂以上に親子の絆を大切にされている面もあったかと存じます。
歌声も母親の松田聖子さん譲りの良い声でしたしね。
もう、筆者ですらも涙無しには視聴も出来ない位ですよ!!
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・・・・・・
さて、神田沙也加さんがこのように亡くなる原因や背景には、やはりかなりの孤独感や人間関係、喉の問題等が重なった可能性が指摘されています。
そして、筆者として皆様に申し上げねばならないのは、岡田有希子さんの自殺や中森明菜さんの自殺未遂に重なる悲劇である、という点です!!
同日11時00分にzakzak by 夕刊フジが「急死の沙也加さん、心の闇と男の影 共演男性との交際で悩み…心療内科に通院も 松田聖子、神田正輝“悲痛の対面”」の題で次のように伝えました。
『18日夜、札幌市内で急死した女優、神田沙也加さん(享年35)の死因はホテルからの転落による外傷性ショックだったことが明らかになった。事件性はないとみられ、警察は沙也加さんが自殺を図った可能性もあるとみて捜査を続けている。そんな中、沙也加さんが抱えていた心の闇がクローズアップされている。そして、両親も札幌入りし、無言の対面を果たしたという。
沙也加さんは18日午後1時ごろ、22階建てホテルの14階屋外部分で倒れているところを発見されたが、靴も履かず、雪に埋もれていた状態だったため、転落からある程度の時間がたっていたとみられる。
遺書のようなものは残されていなかったが、現場の状況から自殺の可能性も含めて捜査が続いている。21日付スポーツニッポンは、沙也加さんが心療内科に通院し、処方薬を服用することもあったと報じている。さらに沙也加さんが舞台で共演中の男性との交際に悩んでいたとも報じた。
「沙也加さんは離婚後、元ジャニーズJr.の男性と親密な交際が続いていました。そのときもかなりバッシングを浴びましたが、その男性とは今年春には別れたそうです。その後、共演男性との交際が始まったといいますが、この交際をめぐっても少なからず批判があったそうです。のどの不調も含めて沙也加さんが精神的に弱っていた可能性は高い」と芸能関係者は話す。
そんな中、父親で俳優の神田正輝(71)が20日、札幌入りし、沙也加さんと悲しみの対面を果たした。沙也加さんは死の直前、神田に誕生日を祝う電話をかけている。それだけに神田の悲しみは計り知れない。
そして母親の歌手、松田聖子(59)も極秘裏に札幌入りしたという。聖子も憔悴(しょうすい)が激しく、23~26日に大阪で予定されていたディナーショーも中止となった。大みそかのNHK紅白歌合戦の出場も危ぶまれている状況だ。
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一方、同日15時30分に同メディアが「中森明菜、後輩アイドルの岡田有希子さん自殺で過呼吸 「ジプシー・クイーン」レコーディングに狂い」の題で「歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡」の特集・連載項目にて、次のように伝えました。
『1986年4月8日。東京・青山のチェリーアイランドスタジオ。中森明菜のレコーディングでは必ず使用されるスタジオだった。
「小さなスタジオでしたが〝音入れ〟としては使いやすく、明菜もお気に入りでしたね」
ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)で担当ディレクターだった藤倉克己はそう振り返る。
この日は15枚目のシングル「ジプシー・クイーン」のレコーディングの追い込みに入っていた。発売日まですでに50日を切っていた。しかし過密なスケジュールを縫ってのレコーディングは藤倉にとって頭が痛かった。
「当時はテレビやラジオの音楽番組も多く、それ以上に雑誌の取材もありましたからね。明菜はトップ・アーティストだったのでスケジュール調整は至難の業だったのでしょう。しかも体力的にも弱い部分があったようですからね。そんな中でもレコーディングは最優先に近かったとは思いますが、それでも時間との戦いだったはずです」(当時を知る芸能記者)
この日のレコーディングは13時から予定されていた。
「明菜が着いたら、多少の打ち合わせをしてすぐに始めたい」
藤倉以下、制作スタッフは準備も完了し明菜の入りを待ち構えていた。
「今日は来るのが遅いなぁ…」
いつもなら30分前にはスタジオに入るはずの明菜が、この日はスタジオに入ってこなかった。フッと藤倉の頭に不安がよぎった。
「確か12時45分ぐらいになってからだと思うが、マネジャーが青ざめてきたんです。『今日はレコーディングはちょっと無理かもしれません』って。何があったのかと慌てて、明菜の元に駆けつけると、とにかく泣きじゃくってどうにもならない。レコーディングどころではないような状態でした」
一体、何が起きたのか? レコーディングのため、車でスタジオに向かう途中のことだった。カーラジオの臨時ニュースで人気アイドルだった岡田有希子さんの自殺が報じられたのだ。
「ラジオのニュースを聞いた途端、表情が一変し、その後は泣きじゃくって過呼吸状態に陥っていたようです。もちろんラジオの一報ですから、状況は分からなかったはずですが、明菜にとって岡田さんの自殺のニュースは衝撃でした。スタジオに着いたときは、とにかく『ユッコが、ユッコが…』と言うだけでしたから。この時点でレコーディングどころではありませんでした」(藤倉)
岡田さんは明菜と同じ日本テレビ「スター誕生!」の出身だった。
当時を知る音楽関係者は「岡田さんは親の反対を押し切って83年3月に行われた決戦大会に出場しました。そこで歌ったのが明菜のデビュー曲『スローモーション』だったのです。結果は後日発表でしたが、岡田さんの獲得に動いた芸能事務所はサンミュージックと明菜の所属する研音でした。一方、レコード会社はキャニオンレコード(現ポニーキャニオン)と日本テレビ系のバップが手を上げ、結果的にサンミュージックとキャニオンで決まりました。明菜にとっては同じ番組のオーディションで、しかも決勝戦で自分の曲を歌った岡田さんには親しみを感じていたようです。岡田さんのデビューは84年で2年後輩でしたが妹のように接していたそうです」と振り返るが、その部分は藤倉も認める。
「事件が起きるまで、意識はしていませんでしたが、思い返すと確かに岡田さんのことは後輩歌手の中でも気にかけて、かわいがっていたそうです。とにかく明菜は心根の優しい一方、人一倍感受性の強い子ですから、岡田さんのニュースは精神的にショックが大きかったと思います。心を落ち着かせるまでに、やや時間は要しましたが、いろいろと調整し何とか発売日に間に合うようにレコーディングもできました」
ところが、そんな中で制作された「ジプシー・クイーン」は業界内でも「いわくつきの作品」として注目された。 =敬称略 (芸能ジャーナリスト)
■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』で合格し、82年5月1日、シングル『スローモーション』でデビュー。『少女A』『禁区』『北ウイング』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE―情熱―』などヒット曲多数。NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。』
岡田有希子さんの自殺の報道やその後の社会に与えた衝撃は相当大きいものでした。
筆者もTVの第一報からその後の様々な報道、衝撃的な写真、悲しみのファンの号泣など、いろいろ観ています。
後年の報道等から、岡田有希子さんの自殺は恋愛関係などのもつれ等の原因からと見られています。
そしてその後、中森明菜さんも、当時交際していた近藤真彦氏とのもつれから、自殺未遂をしてしまった事はご承知の通りです。
神田沙也加さんの死は岡田有希子さんの自殺や中森明菜さんの自殺未遂に重なる悲劇!!
12月21日発行(12月22日付け)の夕刊フジ紙面
出典:こちら夕刊フジ編集局 ツイッター
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