真面目な人は早く死に、残るは・・・・、という言葉があります。
世の中、そのような傾向があるのは決して、否定出来ません。
企業等で、重鎮とか要になっている立場の人に限って、早死にするなどが、その典型的な例ですね。
貴方も貴女もそうお感じでしょうね。
12月9日に訃報が報じられたキャスター等で人気を博した小倉智昭さん、逝くにはまだ早すぎたよ!!
12月11日05時00分にサンスポが「小倉智昭さん力尽きる、77歳 がん闘病8年、最期は愛妻の手を握り…」の題で次のように伝えました。
『(前略)
テレビキャスターでタレント、小倉智昭(おぐら・ともあき)さんが9日午後3時8分、東京・練馬区の自宅で膀胱(ぼうこう)がんのため死去したことが10日、所属事務所から発表された。77歳だった。2016年5月に当時メインキャスターを務めたフジテレビ系朝の情報番組「とくダネ!」で初期の膀胱がんを公表。以来、仕事を続けつつ8年以上闘病し、最期は愛妻の手を握り旅立った。
新聞、雑誌を含め読書で築いた博学と遊び心を土台に、歯にきぬ着せぬ発言で親しまれた小倉さんが帰らぬ人となった。
所属事務所やサンケイスポーツの取材に応じた元フジのフリーアナウンサー、笠井信輔(61)によると、膀胱がんを公表後、膀胱の全摘出をしたが、その後も肺や腎臓に転移。11月19日から入院して検査した結果、骨盤や腰椎など全身に転移していたことが分かった。
今月4日には脳に近い髄膜にも転移、主治医から15歳下の妻、さゆりさんを通じ「もう治療法がない」と告げられて本人も受けとめ、6日から自宅で療養。9日の亡くなる直前、小倉さんが口を動かしたため妻が水を飲まそうとぬれたタオルを口に浸すと、口が動かなくなり、「智ちゃん、智ちゃん」と妻が手を握るとギュッと握り返した後にスッと力が抜けていった。最期は愛犬がいとおしそうに顔をなめる中、天国へ旅立ったという。
小倉さんは獨協大を卒業後、アナウンサーとして東京12チャンネル(現テレ東)に入社。1976年にタレント、大橋巨泉さん(2016年死去、享年82)に引き抜かれて、フリーになった。
「とくダネ!」では1999年4月の放送から22年間、メインキャスターを担当。21年3月の放送終了まで、同一司会者による全国ネットの情報番組として最多放送回数5646回を誇り、現在も破られていない。
最後の地上波テレビの仕事は、11月23日放送のフジテレビ系トーク番組「小倉ベース」(土曜後3・0)。「とくダネ!」のリポーターで親交の続いた大村正樹氏(57)は、サンケイスポーツの取材に「小倉さんが口にした『見てくれる人が喜んでくれる。それが一番うれしい』という言葉が忘れられない」と振り返った。
学生時代の暴飲暴食がたたり37歳で発症した糖尿病は、連日のインスリン注射で抑え、あせると出る吃音(きつおん)は少年時代からだった。しかし、講演で吃音の治し方を問われると、「自信を持って話しなさい。大事なのは中身です」と信念を持って伝えてきた。師匠の巨泉さんも自らと同様、愛妻に支えられ努力を続けた小倉さんの人生に、持ち前の笑い方で「ウッシッシ、よくやった」とたたえるに違いない。
■膀胱がん 男性に多く男女比は女性の約3倍。主な症状として痛みなどほかの症状を伴わない血尿、排尿時の痛み、頻尿、切迫した尿意などがある。進行すると尿が出にくくなり、足がむくんだり、腹や腰、背中が痛むことがある。
(以下略)』
小倉智昭さんの人柄は、筆者の印象ではやはり秋田の出身者に多いおおらかで天然。
もう、TVでも多くの番組を視聴して楽しんだ思い出は、一生ものですね。
ただ、ただ、涙、涙、涙・・・・。
小倉智昭さん、逝くにはまだ早すぎたよ、無念!!
世の中、そのような傾向があるのは決して、否定出来ません。
企業等で、重鎮とか要になっている立場の人に限って、早死にするなどが、その典型的な例ですね。
貴方も貴女もそうお感じでしょうね。
12月9日に訃報が報じられたキャスター等で人気を博した小倉智昭さん、逝くにはまだ早すぎたよ!!
12月11日05時00分にサンスポが「小倉智昭さん力尽きる、77歳 がん闘病8年、最期は愛妻の手を握り…」の題で次のように伝えました。
『(前略)
テレビキャスターでタレント、小倉智昭(おぐら・ともあき)さんが9日午後3時8分、東京・練馬区の自宅で膀胱(ぼうこう)がんのため死去したことが10日、所属事務所から発表された。77歳だった。2016年5月に当時メインキャスターを務めたフジテレビ系朝の情報番組「とくダネ!」で初期の膀胱がんを公表。以来、仕事を続けつつ8年以上闘病し、最期は愛妻の手を握り旅立った。
新聞、雑誌を含め読書で築いた博学と遊び心を土台に、歯にきぬ着せぬ発言で親しまれた小倉さんが帰らぬ人となった。
所属事務所やサンケイスポーツの取材に応じた元フジのフリーアナウンサー、笠井信輔(61)によると、膀胱がんを公表後、膀胱の全摘出をしたが、その後も肺や腎臓に転移。11月19日から入院して検査した結果、骨盤や腰椎など全身に転移していたことが分かった。
今月4日には脳に近い髄膜にも転移、主治医から15歳下の妻、さゆりさんを通じ「もう治療法がない」と告げられて本人も受けとめ、6日から自宅で療養。9日の亡くなる直前、小倉さんが口を動かしたため妻が水を飲まそうとぬれたタオルを口に浸すと、口が動かなくなり、「智ちゃん、智ちゃん」と妻が手を握るとギュッと握り返した後にスッと力が抜けていった。最期は愛犬がいとおしそうに顔をなめる中、天国へ旅立ったという。
小倉さんは獨協大を卒業後、アナウンサーとして東京12チャンネル(現テレ東)に入社。1976年にタレント、大橋巨泉さん(2016年死去、享年82)に引き抜かれて、フリーになった。
「とくダネ!」では1999年4月の放送から22年間、メインキャスターを担当。21年3月の放送終了まで、同一司会者による全国ネットの情報番組として最多放送回数5646回を誇り、現在も破られていない。
最後の地上波テレビの仕事は、11月23日放送のフジテレビ系トーク番組「小倉ベース」(土曜後3・0)。「とくダネ!」のリポーターで親交の続いた大村正樹氏(57)は、サンケイスポーツの取材に「小倉さんが口にした『見てくれる人が喜んでくれる。それが一番うれしい』という言葉が忘れられない」と振り返った。
学生時代の暴飲暴食がたたり37歳で発症した糖尿病は、連日のインスリン注射で抑え、あせると出る吃音(きつおん)は少年時代からだった。しかし、講演で吃音の治し方を問われると、「自信を持って話しなさい。大事なのは中身です」と信念を持って伝えてきた。師匠の巨泉さんも自らと同様、愛妻に支えられ努力を続けた小倉さんの人生に、持ち前の笑い方で「ウッシッシ、よくやった」とたたえるに違いない。
■膀胱がん 男性に多く男女比は女性の約3倍。主な症状として痛みなどほかの症状を伴わない血尿、排尿時の痛み、頻尿、切迫した尿意などがある。進行すると尿が出にくくなり、足がむくんだり、腹や腰、背中が痛むことがある。
(以下略)』
小倉智昭さんの人柄は、筆者の印象ではやはり秋田の出身者に多いおおらかで天然。
もう、TVでも多くの番組を視聴して楽しんだ思い出は、一生ものですね。
ただ、ただ、涙、涙、涙・・・・。
小倉智昭さん、逝くにはまだ早すぎたよ、無念!!
12月10日更新された元フジのフリーアナウンサー、笠井信輔さん(左)のアメブロより、小倉智昭さん(右)
ご冥福をお祈り申し上げます。
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