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病と生きる事とは自分と社会を見つめ直すことです!!

2024-05-15 00:00:00 | 防衛
病、つまり病気にはなりたくありませんね。


貴方も貴女も、何時もそう思われるでしょう。


筆者もそうです。
幼い時には身体が弱く、入院も経験しており、人一倍健康の大切さは痛い程、よく分かります。


それでも、この世に生を受けた以上、「生老病死」は避けられません。


ですから、病とどのように向き合うか、が大切なのです!!




5月12日07時00分に産経新聞 THE SANKEI NEWSが「独立2カ月で血液がんに「闘病してわかったこと」 当事者の視点で発信続ける」の題で、連載シリーズ「病と生きる フリーアナウンサー・笠井信輔さん①」にて、次のように伝えました。


『(前略)


フリーアナウンサーの笠井信輔さん(61)は、フジテレビ退職直後の令和元年、血液がんの一種「悪性リンパ腫」と診断されました。闘病しながらSNS(交流サイト)で発信を続け、完全寛解となったあとも講演や啓発活動などを行い、がん患者の暮らしやすい社会を目指しています。病と伴走してわかったことや、見えたことを、闘病を振り返りながら語りました。


小倉智昭さんに検査勧められ
体調に異変を感じたのは、退職前の令和元年7月ごろ。2時間たたずにトイレに行きたくなったり、いきまないと排尿できなかったりすることが増えました。


当時番組で一緒に働いていたキャスターの小倉智昭さんに相談すると、「すぐ調べたほうがいい」。小倉さんは、がんの経験者です。


2つの病院で検査した結果、最初の診断名は「前立腺肥大」でした。「薬は効果が出るまでに2カ月くらいかかります」と言われ、治療を受けましたが、症状が改善しません。


やがて腰痛が起きました。当時、荷物をフジテレビから自宅へ送る作業をしていたので、腰痛はそのせいだと思い込み、すぐ医師に言わなかったんです。マッサージや鍼(はり)に通っていったん治まっても、3日くらいでまた痛くなる。鍼灸師から「これは内臓が原因じゃないか」と言われました。


前立腺で受診した泌尿器科の主治医に腰痛の話をしたら、「ちょっと待ってください」と言われ、もう1回精密検査に。結果、X線画像で「変な影が映っているから、がんかもしれない」という所見が出たんです。


泌尿器科では扱えなくなり、系列の病院へ行ったのが、フジテレビ退職翌日でした。フリーになって最初のスケジュールが、がんの精密検査。夢も希望もありませんでした。
(以下略)』





次に同日07時01分に同メディアが「たとえかっこ悪くても… 西城秀樹さんから学んだ誰かの励みになれること」の題で、連載シリーズ「病と生きる フリーアナウンサー・笠井信輔さん②」にて、次のように伝えました。


『(前略)


「おはよう!ナイスデイ」に「とくダネ!」…。フジテレビでアナウンサーを務めた33年の間、生放送のワイドショーに携わってきました。扱うのは、芸能人や有名人のプライバシーに基づく話題です。それを伝え続けてきた私が、「自分のプライバシーはそっとしておいてください」という姿勢は違う。SNSでがん闘病の発信を始めたのは、かっこいい言葉でいえば、その「贖罪(しょくざい)」でした。


(中略)


《つらさも、だるさも赤裸々に。闘病経験をつづるなか、心の支えになったのが、大病に向き合った経験のある仕事の先輩の存在。歌手の西城秀樹さんとキャスターの小倉智昭さんだ》




西城さんは若い時に一緒に番組をやった縁で、家族ぐるみの交流を続けてきました。西城さんが脳梗塞を患ったあと、復活までを取材したいとお願いしたら、「笠井くんなら」と受けてくださったんです。


密着取材が始まったんですが、そのリハビリはシビアなものでした。痛みをこらえて、ろれつが回っていなくて。率直にいって、かっこ悪かった。西城さんのこんな姿を見せていいのか。悩みました。芸能人なら元気なイメージで記憶に残りたいのでは、と。


でも、西城さんは、「この頑張りを見てもらうことで、同じように脳梗塞や病気で困難を抱える人の励みになるに違いない」って言っていたんです。


自分一人の命ではなくなった
もう一人、心の支えになったのが「とくダネ!」で長くご一緒した小倉さん。前年に膀胱がんで、膀胱の全摘手術を受けていました。


(中略)


膀胱がんの男性は特に自身のことを語ったり、情報を共有したりするのが苦手なので、闘病にまつわる情報も少ないんです。その中で、小倉さんが膀胱がんを告白して、事細かに「下の話」をしたことで、多くの人の参考になったし、リアクションがありました。小倉さんのそんな姿勢から、ワイドショーアナウンサーとしての矜持を学びました。


《ステージ4で予後が悪い-。厳しい診断を受けた笠井さん。死を覚悟し克明に記録を残そうと決めたが、発信を始めると、その意味が変わっていった》


(中略)


人と人が会えなくなった間、SNSをはじめ、オンラインや仮想(バーチャル)の空間が、人と人をつなぐ重要なツールとなっていたのです。面会が制限された入院中はなおさらそうでSNSについて考えが改まりました。「患者にとってSNSは光でしかない」と。
(以下略)』





更に、同日07時02分に同メディアが「120時間連続の抗がん剤治療 つらかったけれど排尿が改善「耐え抜こう」」の題で、連載シリーズ「病と生きる フリーアナウンサー・笠井信輔さん③」にて、次のように伝えました。


『(前略)


悪性リンパ腫の抗がん剤治療は連続5日間(120時間)を1セットとし、それを6回繰り返す、という過酷なものでした。


私の血液のがんには基本的に抗がん剤しか治療の選択肢がありません。だから、やることに迷いはありませんでした。ただ、副作用は非常に厳しかったですね。


正式な病名は「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」です。このがんの抗がん剤治療は通常、通院や1泊~2泊で行うそうです。しかしわたしの場合は入院して、1日24時間、5日にわたり連続して点滴で投与することになりました。その間ずっと、つながれた点滴から逃れられない。副作用もきつく、病院の庭の散歩ですら、許されませんでした。


医学は日進月歩
抗がん剤を打つ間は、起き上がれなくなり、ただ寝ているだけ。2日くらい食べていなくても、全く食欲がわかない。胸のむかつきがひどいんです。だから、どんどん痩せていきました。あまりに痩せすぎるとテレビ出演の復活は絶対無理だとわかったので、食べることを頑張りました。


《つらい抗がん剤を乗り切ることができた理由のひとつが、患者の生活の質を改善するために行われる支持療法だ。がんの症状に加え、治療による副作用や合併症を軽くするために行われる》


5年前、10年前に闘病したがんサバイバーの先輩からは、抗がん剤で毎日吐いていた、毎食吐いていた、と聞いていて、すごく心配でした。昔は抗がん剤は、「一か八かの治療」というイメージで、副作用のきつさから途中でやめてしまう人も多かったそうです。


ところが私は結果的に1度も吐きませんでした。




抗がん剤の副作用を止める「制吐剤」が効いたんです。最近は製薬会社が副作用を抑える薬剤の開発に熱心です。吐かないで済むと、なんとか食べようという気になる。少しでも食べると体重が減らなくなる。その結果、体力が温存できる。支持療法はQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)の向上につながるんです。


(以下略)』


実に生々しいお話が沢山、出てきますね。
筆者も笠井信輔さんのブログをいつも拝読させて頂いており、相当過酷な治療をされていた事は存じ上げています。


悪性リンパ腫の抗がん剤治療は本当に厳しいと聞いています。
筆者の周囲にもその治療をした人が何人かおりまして、過酷な副作用等の事も聞いています。
とてもとても、個々の詳しい事など、書き切れない事は沢山、沢山あります!!


その過酷な体験を乗り越え、笠井信輔さんは現在も活躍されているのですから、相当凄い事なのです!!




病と生きる事とは自分と社会を見つめ直すことです!!






笠井信輔さん
出典:同氏 X




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