小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

太龍寺まで

2015-11-26 | 四国遍路
「標高550メートルの鷲が尾の山頂にあり、遠く紀州や淡路の山峰、遙かに太平洋を眺望できる風光明媚な霊山が境内である。」と鶴林寺のHPに書かれていますが、あいにくの曇天で太平洋までは眺望できませんでした。
空にはたまに薄い水色が見えるだけ。


古色蒼然とした建物が風雨に耐えた年月を彷彿とさせられました。木造のはかなさ…廊下の天井には鶴の画が描かれていました。一羽の鶴が色褪せていたのが残念です。保存する手立てはないのでしょうか。

お詣りを済ませ納経帳に御朱印をいただきます。
「歩きですか?」と聞かれて「はい」というと太龍寺への道を教えてくれました。
山門まで戻らずに境内の手洗い場の横に標識がありました。
急がなければなりません。下まで降りてから向かいに聳えるあの山まで行き着かなければならないのです。
3時頃から雨になるかもと言われています。

下りの一歩を踏み出し「こりゃ大変だ!」と思いました。
まるで直角のような坂道で石がごろごろ。踏みどころによっては滑ります。
もう、写真を撮るどころではありあせん。
2本のストック頼りに必死で降りていきます。指先が痛くなっていきます。体重が前にかかるからでしょう。


途中、また車道を越えて長い階段を降りました。
やっと下まで降りてからの那賀川の橋までの長いこと。
蜜柑畑や民家を過ぎると県道。水井休憩所がありました。ポカリを買いました。
お腹が空いていたけれど落ち着かないので少し休憩して水井橋を渡ります。12時半。


登りの山道が始まりました。足の指先の痛みは和らいでいきます。そのかわり、息が少しずつ苦しくなっていきます。
適当なベンチがあれば残りのおいなりさんを食べたいのに何もありません。
ぽっかりと穴の空いた岩屋のような岩がところどころにあるばかり。川の音だけがするばかりでたった一人です。


久しぶりに空腹でお腹がグーグーいうので落ち葉の上に座っておいなりさんを頬張りました。
丁石のお地蔵さんがあと何丁と教えてくれます。救いになります。
丁石というのは一丁(109メートル)毎に建てられた道標で古くは南北朝時代のものがあるそうです。




ここで半分くらいはきたのかな。もう、14時半だ!不安です。
そこからどれだけ歩いたのやら。3時50分。
3時までに着きたかったのに、足がとろいので仕方ないか。雨はまだ。
ようやく、山門が見えてきました。でも、ここからが……。


今までずっと一人だったのに数人の人が石段を登っていました。

鶴林寺の入り口で出会ったTさんはどのあたりだろう。
徳島に住んでいる友人とどこかで落ち合うと言ってらしたけど……。





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