タワゴト日記

 未来は無限にあると思っていたが、有限を
感じさせる世の中、光をツールに少しでも楽しい毎日でありたい!

卒業式

2010年03月22日 | Weblog


 あれから何十年たっただろうか?こんなこともあっただろうか?
小学校の卒業式。あれからずっと繰り返してきたんだ。時代は変わる
でも変わらないのは、人の気持ちではないだろうか?もう一度戻りたい
気もするし、もし戻ってこれからの時代生きて行く自信もない。それか
と言ってこれでお終いとも思いたくない。自分の気持ちが整理できない
でいる。何気なく今日の新聞で運勢を見る「花は咲くも風情、散るも風情。
造花の妙を賞ずるによろし」とあった。途中までは判るが後がわからない。
勝手に解釈して風情がなくてもほめることが重要てこと?それともこれ
からの時代、風情を犠牲にして賞をもらいなさいってことかな?ああ!
嫌な世の中?せめて写真に納めてブログでも作ろう!
写真下、開き始めた五条川の桜。


身近になったが・・・

2010年03月21日 | Weblog


 昨日中国が黄砂だ、雨が降って、強い風が吹いて、今日の朝はほころび
はじめた桜でも撮影しようと散歩に出かける。生暖かい空気だ、冬のコート
はいらないよと出かける。太陽はと見上げるとどこかで見た光景だ。思い出
した、どんより曇ったあの中国旅行「西安」である。久しぶりの仕事に出か
ける。その頃には自動車のフロントガラスは白い、前方はどんより、ゆっく
りゆっくりとスピードを落とす。するとほとんど鳴らない携帯電話が鳴る。
出ると久しぶりなので、忘れていないか?との職場からの電話。逆に忘れて
いたことガソリンを入れるために早く出発したことを、引き返してガソリン
を満タンにする、なぜか心も満たされた。考えるにこんな歳になっても、
職場に期待されているなんて思ったら夢膨らむ。帰りは強い風によって
スモッグも晴れ、ルンルン気分で帰宅。ひさしぶりの疲れがでて、ねこと
一緒に昼寝をした。それにしても中国は近すぎる。これからはアメリカ
より中国か?今は嫌いだけど食文化も近いし、ご近所だから悪いところが
目立つのだろうか?適当な距離感が必要だろうか?日本、アメリカ、中国の
関係が世界をリードしてゆくように思う。


わかい日の随筆

2010年03月20日 | Weblog

 

 22歳のときだった。随筆「空白」がある機関紙に載ったのを思い出した。それを再度、ブログに載せて若かりしころの反発を懐古します・・・・・私は、昨二月JTB主催第五回関東支社沖縄旅行団に一員として参加出来た。ある人が、旅費を出してくれたのである。私にとってこの出来事はすべて未知で最初の経験だった。当然「楽しかった、沖縄の景色が南国的で美しかった」と、単純にしかも正直に、正常な人はいうであろう。しかし、私は生まれてから今日まで父の愛情を知らない、顔を見ないという現実があった。その現実が南部戦跡を巡った時、よき同伴者、よき知識者、よきおじさま、おばさま方よきアシスタント達とは違った何物かを私に感じさせた。今は心にゆとりがあるからこう言おう。その人達は経験に富んだ、利口な人々である。私達とは違った形でこのことを考え思ったことだろう。姫百合の塔、魂魄の塔、健児の塔、荘明の塔と巡る間に、私はいとも容易にその雰囲気に溶け込めるのを感じた。その間母も、親類も、友人も、よき同伴者達も私の頭の中になかった。そこにはビルマに眠る父と私の二人だけの世界があると思った。健児の塔で花束を捧げたとき、瞬間思い出したのは、片田舎の中学校の一角に、遺族神社が出来た時、自分が答辞を読んだことである。私が呼んでいる片隅で遺族の人たちが泣いていた。それは自然で美しかった。現実に戻ったとき、私の背後にはあまりにもかけ離れたよき同伴者、常識者、理解者、現代人がいた。すすり泣く声は聞こえなかった。泣かなければならないといっているのではない。たとえ泣いても不自然だ。そのかわり自分が泣いた。不自然だったろう。あの時は泣かなかった。健児の塔に泣いたのではない、父と私の関係において泣いたのだから。それは、健児の塔からは不自然だった。私はバスのなかで、父の戦死した場所に少しでも近づいたことで幸福であると思った。自分のようにこれない人が沢山いる、毎日の生活に追われて父の事を思い出さない人もあるかもしれない。そんなことを考え、正常な観光旅行団の人々と比較した。無精に腹がたってきた。バスガイドの言う普通の言葉も、冗談も、私の心は正直にとらなかった。反発し、ののしり、そうすることによって自分が一番貴い存在であると思った。バスガイドが内地の人、よき常識者から情をかもし出そうと言わんばかりに、一層長く長く語る。私にとっては残酷だった。観光的になった地だ、墓だ、父の戦死したビルマには墓さえ立っていないかもしれない。何も一家全滅した家のあとを、沖縄を、深刻に考えなくても、第三者的に、観光団的に、悲しい顔をすればいいのだ。沖縄から帰り数日、そのいかにも自己本位な気持ちは変わらなかった。このような思いで日常の生活に戻ったとき、同僚の人々の顔を見たとき、あるめまいを感じた。「どうだ楽しかったか」「いや少しもたのしくなかった、残酷、強烈だった」確かにすべてのものが強烈だった。私は虫が良すぎた。楽しかったかと聞くのが普通である。私は、友に、職場の人に、私の気持ちを察したかのように、神技のように、慰めてくれる事を欲求していたのだ。今の私は、機会あるごとに知人に沖縄旅行の話をする、それはある優越感と、自信と、満足と、甘美さを伴っている。でも心の底にある、複雑な空白、底知れぬ空白を感ずるのをどうしようもない・・・・・当時沖縄はまだアメリカ領だった。僕にとってははじめての海外旅行となった。しかしこの旅行で学んだものは大きかったと思っている。大学生の従兄弟二人と高校を出て社会人の僕三人が、行った旅行、行きは仲良く、帰りは喧嘩別れの旅だったと記憶している。何かに常に反発する青春時代の「こころの旅」でした。


食文化

2010年03月19日 | Weblog


 クロマグロが食べられる?刺身にマグロがなかったら、考えただけで
寂しい限りである。よかった、ひとまず食べられるようになった?
新興国のおかげである。欧米人の食文化にはうんざりである。動物性の
油ばかりとって馬鹿らしい。シーシェパードといい、一体全体何を考え
ているのだろうか?クジラ、イルカを殺すシーンを映画に撮り、
アカデミー賞をとる。欧米人が牛、豚を殺して日本アカデミー賞を撮ろ
う国際派監督さん!そうしたら彼らはどう思うだろう?欧米人の食文化
は大したものではないかもしれない。最近特に思うイタリア料理も、
フランス料理もアジア料理に勝るものはない。中でも日本料理は群を
抜いて美味しい。最近日本では、粉物の食べ物が人気だそうだ。うどん
はもちろん、たこやき、お好み焼き若者の間では、タコパー、オコパー
が盛んだと聞く、パーティや合コンで男女で作って食べるのだ。
バーでもたこ焼き、お好み焼きを注文する人が増えたようだ。そこで
たこ焼き、お好み焼きは主食かオカズかのアンケートをとったところ、
東京では主食にならず、大阪では主食になるとのこと。名古屋はビール
のつまみです。そしてもう一つ余談、大阪のカップルは、別れる前に、
美味しいものをカップルで食べに行くそうです・・・?今日のラジオ。



写真は死ぬまで食べたい「クロマグロ」、そしてマグロも死ぬまで泳ぎ
続けるんです。大西洋、インド洋、太平洋とそして最後は日本へ。

五箇山

2010年03月18日 | Weblog


 まだ高速道路が出来ていなかった時、確かにみた五箇山の合掌
造り集落。そのときは遠めに見たが今回は、集落の中で見たのだ。
残雪が幾層にも残っているあかしを見ることが出来た。ここに降る
雪は幸せだろうか?なんて考える余裕もなく、厳しい冬の自然を
目の当たりに見た。溶け出した水が勢い良く流れる音。かまくらの
中に入れば冷たい風、今日は雨が降っているその雨は避けられるが
薄暗くなってきた。もう帰りたい!数十年前に見た、いや高いところ
から眺めた五箇山の明るいイメージがなく、今アメリカで受けている
「Jホーラー」的怖さに陥った。雪国に多い高齢者の自殺が理解
できる年代になったことも、そこに永くいることをゆるさなかった。
気持ちは「どんより曇った空、鉛色の日本海」「雪が深々と降る
茅葺の家」そんな心に残る写真を希求しながら、早く現場から抜け
出したい身勝手な自分がいる。そしてこんどは透き通るような海、
何処までも青い空をイメージして早く旅に出たい!
写真下は、世界遺産・国指定史跡「相倉合掌造り集落」