「東都佃沖」
徳川家康の江戸入府にともなって摂津国佃村の漁師が江戸に召されると、彼らの定住地として隅田川河口の干潟が下賜され、埋め立てられた干潟は移住前の地名にちなんで佃島と名付けられた。一面の広がる葦原は、河口に特徴的な砂州状の地形になっている。佃島本湊町の北側に京橋川と隅田川の合流点が有り諸国からの廻船はここで物資を茶船に積み替え市中を巡る水路で市中に運んだ。多くの弁才船が帆を下して停泊する様子は隅田川河口のおなじみ風景であった。
春日井市在住、1935年私的な挿絵等に全て自由にご使用ください。
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