「深川三十三間堂」
深川の三十三間堂は、京都・東山の三十三間堂を写した建て物で、寛永19年弓師備後が、幕府に請願して浅草に建てた。元禄11年火災で焼失し、深川の地に再建され、その後焼失や倒壊を繰り返した。京都の三十三間堂の通し矢と同じく、堂の濡縁で矢を射って、約120m先の的に数多く的申した者を名人と呼び、その名前は矢数帳に明記された。 9o3tt2
春日井市在住、1935年私的な挿絵等に全て自由にご使用ください。
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