戦国の気配運びて風薫る
( せんごくのけはいはこびてかぜかおる )
( せんごくのけはいはこびてかぜかおる )
わが市の文化財が特別公開されております。
今回の目玉は、秀吉直筆の朱印状です。
妙国寺で公開されております。
古いもの好きですので、 曇り空を幸いに行って来ました。
文禄の役(1592)に際して、舟奉行達への申し渡しを
記したものです。
my舅の字に似てます。
ボランティアの方々が、 蘇鉄、お庭、 文化財等々に関して
説明してくださいます。
よく判ります。
このお寺は、蘇鉄で有名なところです。
写真の蘇鉄は、 樹齢1,100年
その昔、 織田信長に、所望されて、 一時(いっとき)安土城へ
移された事があります。
でも、 「堺へ帰りたい」って夜な夜な、泣いたんだそうです。
(右下の石灯籠には、千利休の銘がありました)
「本能寺の変」の夜、 僅か20人ほどを従えて、
徳川家康は、 この寺で宿泊しておりました。
信長の事を知らされて、1日で三重の海沿いまで
逃れたのだそうです。
伊賀者や服部半蔵が登場して、 面白いお話でした。
ほかに、江戸末期、明治維新の頃に起きた土佐十一烈士の
遺品なども紹介されて、
さすが鈍感な私も、何だか気配を感じました。
今回の目玉は、秀吉直筆の朱印状です。
妙国寺で公開されております。
古いもの好きですので、 曇り空を幸いに行って来ました。
文禄の役(1592)に際して、舟奉行達への申し渡しを
記したものです。
my舅の字に似てます。
ボランティアの方々が、 蘇鉄、お庭、 文化財等々に関して
説明してくださいます。
よく判ります。
このお寺は、蘇鉄で有名なところです。
写真の蘇鉄は、 樹齢1,100年
その昔、 織田信長に、所望されて、 一時(いっとき)安土城へ
移された事があります。
でも、 「堺へ帰りたい」って夜な夜な、泣いたんだそうです。
(右下の石灯籠には、千利休の銘がありました)
「本能寺の変」の夜、 僅か20人ほどを従えて、
徳川家康は、 この寺で宿泊しておりました。
信長の事を知らされて、1日で三重の海沿いまで
逃れたのだそうです。
伊賀者や服部半蔵が登場して、 面白いお話でした。
ほかに、江戸末期、明治維新の頃に起きた土佐十一烈士の
遺品なども紹介されて、
さすが鈍感な私も、何だか気配を感じました。