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あるユートピアの、可能性のカケラ

加藤百合著「大正の夢の設計家―西村伊作と文化学院(朝日選書・1990)」を読む。
伊作を通して大正の時代精神を描こうとしている本書、
修士論文が元になっているとは思えない完成度の名著デス。

さて、建築家・西村伊作の代表作である、今は無き「文化学院校舎」の一部が
関係者の胃を捩じ切られる様な努力の結果のこされることになった。
旧校舎はまさに伊作のユートピアを体現したような校舎であったと思う。

同書によると、伊作の「ユートピア」は格差を受け入れることで成立していて、
そのことで同時代においても批判的に見られていた部分があったようだ。
確かに彼のやってきたこと(新宮における外国風生活の徹底、設計事務所の経営、
そしてあくまで自身の子供の教育を主眼とした学校の創設・・・)のあれこれは、
そのアウトラインだけを見れば殆ど大金持ちのお坊ちゃんの道楽である。
しかし、その突き詰め方、そしてその背景にあるものを知ると
道楽として簡単に切り捨ててしまう訳には行かないことを改めて思わされる。
・・・金持ちに生まれてしまった境遇、というのもあるのだ。
そして、当時の流行であり、一時的には接近した社会主義に向かわず(向かうのを諦念し)、
閉じたコミュニティーでのユートピアの追求に邁進した伊作の「最高傑作」が
文化学院という共同体だったのだろうと思う。
そして、伊作自身の設計によるその校舎はその内にユートピアを内包して
長きに亘って御茶ノ水に存在していたのだった。

外部に対して閉じつつも、決して固い拒否の姿勢ではなく、
優しい表情をもって通りに面していたその校舎は、
あるいは「自閉しないユートピア」の可能性をも示していたのかもしれない。
校舎が失われてしまったのは残念だけれども、その記憶のよすがとして
その「通路」の象徴とも思えるアーチ部分が残された。
それはそれは小さな「カケラ」ではあるけれども、思いのこもった「カケラ」だ。
丁寧に感じ、その可能性に思いを致してみたい。
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