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原広司、集落を語る


JR京都駅の設計者として知られる建築家の原広司さんといえば、
プラナリアが学生だった頃の憧れの建築家No.1である、
ろいうか、当時「反射性住居」とか「多層構造論」といった理論と共に
独特の浮遊感のある小住宅を発表されていたその姿は
理論家、学者というイメージの方が強かったですかね。
(実際東京大学の教授でいらしたし)

その原さんが建築士会の講演会で70年代に行っていた集落調査の話をされると言うので、
お歳からして「もしかしたら最後の機会になるかもしれない」と思い聞きに行って参りました。
(すみません、略歴を確認したら75歳でいらしたんで、、、
 でも今まで公の場で集落の話をされたことってないような気もするし)

スライドを前に講演する原先生

若い人って原さんを知っているの?などと思いきや、聴衆の平均年齢はかなり若い。

本講演会のチラシにある謳い文句には
「均質空間、グローバリズム等の概念に対抗する親自然的環境、地域等の概念に触れながら」
とありましたが、地球2週半の距離を走破されたと言う集落調査のスライド紹介だけで
残念ながら2時という時間もあっという間に尽きてしまいました。

当日映し出された走破ルート。

地中海/1972


中南米/1974


東欧・イラン/1975


イラク・インド/1977


西アフリカ/1978-79

とは言え、例えば
「集落は人間と同じで類型に押し込むことは出来ない」「分類でなく検索なら可能」
「記録と言う概念」「生きている(すなわち人間=自然)こと自体が記録である」
「厳しい自然条件であればあるほど自然力を活用して生きている親自然的な集落となる」
「日本の伝統、アフリカの伝統、ではなく日本とアフリカが共有する伝統」
と言った興味深いコメントがそこここで発せられておりました。
(ボンクラなプラナリアのメモなので内容を掴み損なっていたらすみません)

原さんが集落調査から何を得たのかはその著作を当たればある程度知ることが出来る訳ですが、
その尋常ではない知性から生まれたエッセンスとしての理論の前にある、
(たぶん近代の超克を模索していた)建築家の目が見た生の風景が提示された今回の講演は
これらの集落の多くがその後「近代のテクノロジー」により変質してしまったことを考えあわせると
大変貴重な体験だったと言えるのかもしれません。

改めて著書を再読してみたいと思います。
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