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京都庭園めぐり・三玲編


さて、3月の頭に京都入りした際に、半日間ですが
京都在住の作庭家・F氏にお付き合い頂いて、東福寺周辺の三玲作品を見て参りました。

東福寺霊雲院

九山八海の庭

江戸期の庭を三玲が修復したもの。
オブジェ風の石の造形物が主役となっていますが、
これは当時細川家から住職に贈られた「遺愛石」と呼ばれるもので、
三玲デザインではないのでした。

臥雲の庭

九山八海の庭から西に連続して周り込んでくる枯山水は三玲の作。
戦後昭和の前衛絵画の雰囲気を色濃く漂わせる庭で、
茶室(2階建ての珍しいもの、桃山時代)の露地を兼ねているのが面白い。

書院からの全景

遺愛石が生け花を活けたように見えます。

東福寺開山堂・普門院


右手の枯山水は江戸期のもので、これも三玲が修復を手掛けています。
山門正面に開山堂があるという普通の軸線なのですが、庭園配置に違和感ありませんか?


軸線左側に建っている普門院の前から山門側を見たところ。
普門院は方丈建築で、その前庭としての枯山水と理解すると庭園の位置が納得できますね。

東福寺方丈「八相の庭」
実質的な三玲のデビュー作です。

南庭

先日紹介した他の枯山水と比べると、
正面の明治期の門を始めとする周辺の建築的要素の存在感が大きく、
また、奥行きに比して間口が広いという特徴(というか間延びしやすいという問題)もあり、
それに拮抗するためにも強い表情の石を選んだのではないでしょうか。
(石の高さは塀のラインより下に抑えられている点にも注意)

西庭(井田市松)

当初に比べ苔部分の面積が増大しており、刈込の高さも当初は5センチ程度だったということです。

北庭

こちらも大分苔が育ってモッコリしているが、もともとは敷石と同面積だったようです。

東庭(北斗七星)

お願いだから小銭を置くのは止めてください、、、

泉涌寺御座所

御座所裏手の庭園

ちょっと休憩で池泉式庭園を。
御座所の建物は明治期に移築されたものとの事なので、同時期かそれ以降の作庭と思われます。

泉涌寺塔頭・善能寺

全景

本堂は1971年竣工。左手前と本堂右手に石組が見えます。
空間の空き具合など、ちょっと不思議な感じのするお寺さんです。

仙遊苑

本堂右手の石組は三玲作の、珍しく池泉式の庭園。
水が張られていない状態でしたが、石の密集度には圧倒されるものがあります。

枯山水

「重森三玲 庭園の全貌」の著者・中田勝康氏のHPによると
この地面のウネウネは左手に写っている石組と合いまって枯山水庭園だったとのこと。
(アプローチの切石による延段も三玲だそうです)

おまけ


東福寺から泉涌寺まで裏手を廻り込むような形で移動しました。
途中谷戸みたいなところは未舗装道路、急にハイキング状態です。


住宅の間の路地から鳥居が見えたので近づくと神社がありました。

以上、京都駅東南エリアの駆け足三玲探訪のまとめでした。
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