今年も『旧日銀広島支店』で開催されている『被爆66年追悼記念慰霊祭』に行ってきました
テレビで広島新市長も献花されているのを見ました
受付で名前を書き、献花をしてくださいとのことばに、準備されている花を手向け手を合わせ
ました
66年前の惨事の場にいなかった私には、いきなり頭の上に原爆を落とされた人々の肉体的、
心的な苦痛を想像するしかありません
奥のロビーには、たくさんの方が、当時の目と記憶に焼きついた惨劇の様子を描かれた作品
の展示がありました
写真に撮ろうと思いましたが、掲載するにはむごすぎる内容に、断念しました
まさに、学徒動員中被爆をし、つぶれた工場から命からがら逃げ帰った母から聞いた言葉が
そこには描かれていました
あまりの熱さに河に飛び込み亡くなった人たちで河が埋まっていたこと
全身の皮がむけ、たれさがり、幽霊のようなっている人たち
なくなった人にすがり泣き叫んでいる人たち
建物の下敷きになり、助けを呼ぶ人たち
これが地獄絵図でなくて、なんでしょうか
これらに接するとき、むくむくと原爆を落とした国に怒りが湧くのをどうすることもできません
人間の善を今回の東日本大震災で目の当たりにしましたが、こんな残酷なことも平気で行うの
も人間なのだということですね
平和が来たと思う人もいるようで、
そんな事、とんでもない話です。
でも、
こんな爆弾を落とした国に謝罪を要求しなかったのも不思議だし、
同じ核で今多くの人が被害を被っている。
多くの犠牲者の無念、
そこから学ばなかったのかな...と思い、
残念でなりません。
もうこれ以上核の被害は受けたくないです。
まあ~西の方の町が原爆に逢ったところで、東のほうには影響がないですから、他人事だったのでしようね
それに、快適な暮らしをするための副作用なんでしょうか
光が強ければ強いほど、影は濃くなりますし
とにかく、暴れだしたら制御が利かないような物は扱うべきではないですね
本当に申し訳ないです。
私たち東人がもっともっと真摯に受け止め、
身体を張って核はいりませんと
言わなかったからいけないんです。
これが最後のチャンスとして、
せめてエネルギーでは核を使わないように、
シフトしていきたいです。
ごめんなさいね、すみませんでした
ただ、現在の広島でもそうですが、戦争を知らない、原爆を知らない人達(私も含めて)にわかれと言っても無理だと思うのです
しかし、少なくとも広島、長崎ではその爪あとが残っていますから、何かと知る機会がありますが、他県、特に東の方までは届かないのではと思います
日本は小さな島国ですが、それでも今回の東日本の震災は、西日本に住む私達には、テレビの中だけの現実です、少なくとも私には、どこか他人事の部分があるやも知れません
広島も「中電」が原発を持っています
今は原発なくして現状の維持はきわめて難しい現実、エネルギーを他に求めて試行錯誤されているのを耳にしますので、一日でも早い開発を待ちたいです
又、平行して不要なものを少しずつそぎ落としていく日常も知恵をしぼりたいと思っています
こんな思いで書いたのです
とにかく、一日でも、一人でも早く元の生活に戻れるよう、日本丸が順調に航海できるよう、願ってやみません