音戸町(おんど)は、呉市の南方に浮かぶ倉橋島の北側約3分の1を占める街
だったが2005年に呉市に編入されて消滅したそうです
合併の話は小耳にはさんでましたが、詳細は知らなくて・・ちょっと寂しい
中1~約10年間住み暮らした呉市、確かに音戸は身近すぎるくらい身近だったけど・・
久しぶりと言うほどでもないけど、音戸大橋が見たくなり出かけた
6/7のウォーク&ドライブ
江戸時代からこの海峡を渡る手段として、「音戸渡船(今もある)」と
呼ばれ、片道運航距離120mの日本で最も短い有料渡し船
市内へ通勤・通学するために渡峡を繰り返し、その渡船はピーク時で
1日250往復していた記録もあるらしい
ところが1932年に、「渡船」が沈没し、死者・行方不明者29人を
出す海難事故が発生、原因は、定員23人の小型船に6倍近くの137人が
乗ったことによるものであったそうだ
ずいぶん経ったがこうした状況も踏まえて、1961年に瀬戸内海初の
離島架橋事例として「音戸大橋」が架けられた
その後50年が経過した2013年、交通量増大とそれに伴う慢性的な
交通渋滞に対応するため、道路も整備され「第二音戸大橋」が架けられた
2橋間の距離は約350m
橋長は 172m 倉橋島側は用地が少ないことで考えられたのが、
倉橋島側を螺旋状の高架橋、写真のようなループになった
呉側にある公園はサツキの時期になると見事にサツキ色に染まり
多くの人出がある
こちらが【第二音戸大橋(第一から望む)】橋長 492m
こちらへは二度訪れた
呉から音戸へ第二音戸大橋を渡ると展望台が作られていて
休憩場所や軽食などもあり、何しろ絶景かな、絶景かな・・なのだ
又道路の反対側に渡るには、この【第三音戸大橋】擬きの歩道橋を渡る
橋長14m 以前訪れた時は建設中だったので、何時か訪れたい♡
いよいよ、橋を渡って倉橋島・音戸へ
今回目指したのは、元音戸町の【大浦崎】到着 静・・・
水がきれい
海を眺めていると目の前を漁船が通過
はるか先に見えるのはどうやら【仁方から下蒲刈島】に架かる
【安芸灘大橋】のようだ
岬の先に興味をそそる半島発見
古くなった牡蠣筏を焼却処分中 沢山有るから大変だぁ~
半島へ上陸 ワクワク
岩の間に溜まった海水の中に【岩ガキ】が・・
先端の岩場へ
この岩場の途中まで登ってみた、もっと若かったらテッペンまで
登ったのになぁ~老いが悲しい
でも、久しぶりにちょっと昔が取り戻せてリフレッシュ
振り向くともっと老いを感じている人が・・・
こちらの半島は運動公園になってて、施設も完備されてて、キャンプも
できるようになっていて、シャワーやトイレも完備、夏はキャンプに
海水浴にと楽しめそうだなぁ~コロナよ早よ退散しろ~
もっと綺麗!と申された。
以来、一度はその美しい水を見てみたいと思いつつ未だ叶わずです。
もう、半世紀も経って水も変わっただろうと思ってました。
そうですか、今も綺麗ですか!
ちょっと嬉しくなりました。(^^)
思わぬつながりが・・・
やはり人口の多い少いの結果でしょうか・・・?
市内の周りだとこうはいきませんね・・・
綺麗な砂浜を見てると、泳ぎたくなります
ずいぶん海水浴してないですけど、今年は
久方ぶりに泳ぎたくなってます
愚石さんは海水浴されるのですか?
サツキのまあるい玉もかわいいですね
満開になったらきれいでしょうね
半島という場所に行ったことがないので憧れます
とても素敵な場所で過ごされたんですね
海もきれいね
潮の流れが速いのと、行き交う船の多さで
知られています
この瀬戸を開削したのが【平清盛】と
伝えられてて、伝説によれば、西に沈みかけた
太陽を清盛が扇で招き返し、一日で
開削工事を終わらせることができたという
伝説が残っています
又橋の側に清盛の像が祭られています
そんなベースがあり、朱塗りのアーチ橋も
ここいらでは有名なんですよ