柳原白蓮(やなぎわら びゃくれん)明治18年~昭和42年に活躍した歌人
もちろん、無知な私が知るはずもない
いつものように券を頂いたので、行ってまいりました 吸収 吸収
なんでもその道では『大正三美人』の一人とされた美人歌人だそうで、そのお写真が・・・
おー
父は柳原前光 伯爵
母は前光の妾のひとりで、柳橋の芸妓となっていた没落士族の娘、奥津りょう
どこかでよく聞くおはなしのよ~な・・・
この方なんと、大正天皇の従妹にあたる方だそうだ
{ウィキペディア}によりますと、生まれたとたんに里子に出されるわ、7歳で
元に戻されるわ、9歳で今度は養女に出されるわ、15歳で無理矢理結婚させられるわ
子を授かるも、ろくでもない亭主だったようで、やっと20歳で子を残す条件での
離婚成立、そして実家へ・・・
だが「出戻り」というレッテルの元 、幽閉状態で、屋敷から一歩も出られない扱いだったとか・・
しかし彼女は抜け出して兄弟や乳母などの力を借りて、結婚で中断していた勉学に戻るため
女学校に入学している 23歳の時
しかーし、またまた彼女になんの相談もなく、親子ほども年の違う九州
の炭鉱王との話が決められ、何も知らされることなく再婚させられる、彼女25歳 炭鉱王50歳
時代劇で見るお姫様たちと、全くおんなしじゃん
裾の図柄がめずらしい
二匹の小熊
金はあるが・・・って亭主だったらしく、歪んだ結婚生活の懊悩・孤独をこの方は
ひたすら短歌に託し、信仰していた日蓮にちなんで白蓮の雅号で、初めて『踏絵』という
歌集を出す 29歳頃
また戯曲『指鬘外道』(しまんげどう)を雑誌『解放』に発表するが、これが評判となって
本にする事になり、『解放』の主筆で編集を行っていた、運命の人宮崎龍介と出会う
白蓮34歳 龍介27歳
今と違い男尊女卑の時代、まぁ~今もあまり変わらない考えの男性は多々いらっしゃいますけどね
兎に角、出来る限りの策を尽くしての離婚 そして龍介の子を連れての結婚
白蓮36歳の時でした
その後、歌集・小説など多々出版し活躍
昭和42年2月22日死去
正に大河ドラマを地で行く、波瀾万丈の人生ですねぇ~
すごすぎて{ウィキペディア}読んでるだけで、疲れてしまったよぉぉ~
ただですねぇ~最後の方に、私には聞き捨てならない記述があったのです
なんと、僭越ながら私が大ファンである美智子皇后さまの結婚に際し、
激しく反対した一人だったそうなんですよねぇ~
あのおとなしそうなお写真からは、想像できないけれどもねぇ~
苦労する美智子妃を思ってのため だったら許せるけど・・・
でも、成婚後も美智子妃に対する猛烈な批判を続けたとの事
猛烈に反対した他の人の事は知りませんが、自分がこんなに苦労して生きてきているのに
なんでぇぇ~
分けわかめ状態
私、悪いけど、いじわるする人、嫌です
ひょっとして、身分を鼻にかけてたってことかいな
オーマイゴッーード
どうなんでしょう?この状態は・・ 『花?』『実?』
割るとグレーがかった白い実で、ゴマ粒状の微小な種がありますが、そのまま食べられます。甘さはあまりなく、やわらかい感触を楽しみます。赤い実もあります。
白蓮も宮崎龍介も知りませんでしたが、龍介の父、宮崎滔天は孫文を支援した有名な革命家です。滔天の兄、八郎も自由民権運動家です。
貴族というのは、苦労しても普通の人とは、苦労の受け止め方が違うのではないでしょううか。 「貴人に情無し」は、勝海舟の徳川慶喜を評した言葉ですが、要するに貴族というの、どこかズレているんです。常識や人情が通じない・・。美智子妃への迫害も、ま、そんなもんやろうなと思いました。
おぉぉーこれがあのドラゴンフルーツなんですか?
流石熱帯の果物ですね、派手です
なんだか食べるのがもったいない感じです
「貴人に情無し」・・・確かに、こんな育ち方をすれば
私だったら世捨て人のようなタイプになっていたかも・・・
今でも金持ちや昔からの政治家などは、政略結婚
をすると聞いているし、すごいですねぇ~としか
言いようがないです
変わり者の私には、身分や学歴や金持ちなどを
ひけらかされても、ピンと来ない、それらが
私にかかわって来て初めておぉぉぉーて感じでしょうか
よって、昔々ある時『オンワードよ』って
怒られるんですね
常識がないって声もありますが・・・