【萩反射炉】
反射炉とは、鉄の鋳造に必要な金属溶解炉
萩藩の軍事力強化の一環として導入が試みられました
幕末、黒船が来航した時代に、長州藩は、西欧の技術力の脅威に備え、
長州藩の軍事力強化のため、西洋式の鉄製大砲鋳造を目指したため
反射炉の建設が不可欠で、先に反射炉の建設に成功していた佐賀藩へ
1806年に藩士を派遣し、鋳造法の伝授を申し入れたが、
許されたのはスケッチのみ、試行 . . . 本文を読む
第22番札所【多陀寺】
この度廻った九寺の内唯一【島根県内】のお寺
山陰海岸・石見路にある街「浜田」、中世には大陸貿易の主要港として栄えた街
その石見路を代表する屈指の古刹が多陀寺
開山の流世上人、唐に留学僧として渡り、806年唐より持帰った金色観音像を
安置したのが始まりとされている
仁王門の傍には天然記念物の大楠 . . . 本文を読む
第21番札所【観音院】
観音院は、民家の密集する橋本川河口の急な傾斜の高台にあり
城砦を思わせる石垣上にそびえ建つ
眼下に見える【常盤大橋】のそこはすでに日本海にそそぎこむ橋本川の河口
萩市の橋本川と常盤大橋
観音院は古くより、海の護り観音として崇められていた
また、大道無門に境内を開放していたので、幕末には志士たちが
会合所として利用し、激論を交わしていたと . . . 本文を読む
第20番札所【大照院】
8世紀末ごろから9世紀初頭に月輪山観音寺という前身寺院が
あったが、創建の事情は定かではなさそう・・・
その後鎌倉時代末期に建長寺の義翁和尚が大椿山歓喜寺と改め、
臨済宗の寺院としたが荒廃、初代藩主の菩提寺とするために
1654年~1656年にかけて再建し、秀就の法号にちなんで
霊椿山大照院と改めた
その後1747年に焼失、現在の本堂等は、6代 . . . 本文を読む
第18番札所【宗隣寺】
777年に唐より来朝した為光和尚が、故国に似たその景観を
愛すると共に、山よりの湧泉に霊感をうけて【普済寺】を開板
戦国時代末期に廃絶の憂目にあうが、徳川4代将軍・家綱の時代
1670年に長州藩永代家老で宇部領主であった、福原氏15代が
寺の再興をはかり菩提所とし、亡父元俊公・宝嶺宗隣居士の法号に
ちなみ宗隣寺を建立
第19番札 . . . 本文を読む