段ボール開封と片付けの毎日がまだ続きます。
今晩はとりあえず一休憩。ゆっくり一服淹れたい。昨年、経堂で幕を下ろした中国茶専門店茶泉、最後のイベントに参加した際、一九七九年の青心大冇を頂きました。
溢れ出る薬香とばかり想像していたけれど、まさか台湾ウーロン特有な花香がまだ健在していた、びっくりです!
ほんとに一九七九の青心大冇なのかな。
それとも、若く見られる人のように、若々しさを保つ老茶だったのかもしれません。
弘明寺、横浜市内最古の寺。
はじめて寺で祈願したのが、
お腹に八か月の命が宿ったときの事。
急な階段を登り切り、
喘ぐ私のために、
寺の住職さんが鐘を鳴らしてくださった。
寺院の屋根越しにその日の夕焼けが綺麗だった。
その二か月後に生まれた子が今は十八。
もちろん私も歳を取ったはずだ。
弘明寺と最初のご縁は学生時代に遡る。
商店街を挟んで市営地下鉄駅側の学生寮に私が住みはじめていた。
ここから大学生活が始まり、
大人への一歩を踏み出した。
江戸風情を名残る商店街に庶民の浴衣屋、駄菓子屋、お茶屋など今も健在する。
広州にいた五年間、日本に一時的に帰ってくる際、住ませてもらった部屋は、弘明寺の駅からかなり離れている。コロナ禍が勃発した後、急遽そこに私ひとりが住むこととなった。
駅から離れているおかげで、沢山歩いた。住んでいた"引越坂"という地名がまず面白い。気になって調べてみた。江戸から明治にかけて、戸塚方面から井土ヶ谷方面を抜けて横浜へつながる東海道の裏道(近道)として、人々にとっての貴重な生活道路だったらしい。網を引き越しして峠を通り抜く。そこから引越坂ときた。なんだか歴史の名残を感じる地名ではないか、と気に入った。
引越坂一帯は、横浜の丘陵地区、夜の風が尋常ではない。しかし、四季ごとに咲き誇る里山の野の花には恵まれている。野の花を持ち帰って生けるのが最大な楽しみなのだ。二年も住んでいれば、いつ何処にどんな花が咲くか、脳裏に花地図できた。里山の花草を離れるのが淋しい。
相方も私も生まれた星は風の星座なのだ。
いつまでも風になびかれて
転々とゆくのが私達の運命なのかな。
もしほんとにそうだとしたら、
至る処に景色ありと信じていたい。
弘明寺、これまではありがとう!