晴れ間が見える日に、出光美術館の「仁清・乾山」展に行ってきた。
野々村仁清の艶やかな黒の背景に、金彩のやわらかな山並みと蒔絵は、もちろん素晴らしい。
咲き乱れる芥子の花、絢爛たる金、銀、赤と肩に金彩による切箔取の散らし文も無敵。
イメージしていなかった京焼の白釉や灰釉のモノクロームには裏切られた。
胴裾をすぼませた白釉耳付水指は、よどみなく、上昇する熱気球に見えた。
もう一つの白釉に薄青、薄紅色の色調は、なぜか優美な平安美人を連想した。
無釉の「かわらけ」や単色釉への愛着に見出された、京の貴族文化の中に根づいた清浄さと簡素さへの希求が、目に浮かぶ。
小物でありながら目に止まったのは、白釉にかすれた銹絵で三峰の富士山を描く茶碗。白縁をゆるやかな三角にゆがめ、動きがつけられたようにみえる。
それから尾形乾山の萩文角皿。お刺身系のおつまみをちょこっと載せるのにぴったり。
乾山焼の和歌・能・漢詩意匠をテーマにした章では、
展示された景徳鎮の十二ヵ月花卉文杯が素晴らしい。
江戸時代前期に造られた蒔絵八角硯箱が物語る
唐の詩人白居易(白楽天)と和歌三神の一人である住吉明神の漢詩と和歌の対決、その内容に興味が湧いた。
和歌の上句と下句を記する二枚一組の皿は、カルタ遊び感覚の組皿で趣に溢れている。
蒔絵硯箱に施され、古くから歌に詠まれるという奈良龍田川の紅葉に思いを馳せた。
解説に度々でてくる「本歌」という言葉が気がかりになって、辞書を引くことにした。
凝縮した学びの時間だった。