午前中 静かに紫色の花を咲き、 夕方 また静かに閉じる。
茎の先に沢山の蕾がつき、
花の咲く順番もあるみたい。
けれど、今日、私が起きてもまだ咲かない。
今日は寝坊助けか。
一日ずっとそばにいると、
気付かせてくれるその花の習性。
野花を連れて帰る喜び、
日に増える。
ムラサキツユクサって、
すごく和風の花名に聞こえるよね。
実はアメリカ原産のお花らしい。
そんな紫露草一輪を生けた花器は、
近所で定食屋を営む女性から頂いてきた器。
帰り道に必ず通過する小さな定食屋。女性一人で切り盛りしている。三階建ての一階部分にある店の名は、seagull。店正面の装飾看板に、薄灰色がかった一羽のかもめが薄汚い水色の水面を羽ばたく。通りかかる都度、軒下にある小さな黒板がなんとなく視線に入る。そこにその日のメニューがチョークで書かれている。黒板に、チョークで花らしき挿絵もよく描かれていた。メニューはいつも三つだけ。
お肉定食、
お魚定食、
日替わりメニュー一種
手直しされる様子のないせいか、家から近いのに、店に入ろうと思った事はそれまで一度もなかった。
二年前、一度だけ、ぐたぐたになった体を引きずりして帰宅した日のこと。気づけばほかに選択肢もなく、家の近くまでたどり着いていた。勇気を絞ってseagullの古びた扉を推し開けた。
年数が相当経過した店内、掃除だけは行き届いていた。カウンターバーの内側に私より年上の女性一人が料理をしている。
カウンターのほか、二人掛けのテーブル、三四が配置されている。
お客さんがまばらだった。仕事帰りのお一人様の男性が多い。
空いている席に腰を掛け、その日の日替りを注文した。
しばらくして、四角の漆盆に注文したマグロの漬け丼に、小鉢とミョウガのお味噌汁が目の前に運ばれてきた。家庭的な配膳、ほっとするような味と記憶している。体の疲れが一気に解消した。
そして、ニカ月前のある日、店の前に器やグラスがずらりと並んでいた。
*ご自由にお持ち帰り下さい*
その文字を書かれた看板は、取り下げられ消えてしまった店前の黒板よりも、ずっと大きくて目立っていた。
ここは、賑やかな駅前の商店街と違って、
もともと客足が少ないはず。
コロナ禍から真っ先に打撃を受けるのは、まさにこのような弱小な店。
そう思ったら、なんだか急に胸がかきむしられて辛い。
店先に沢山並ぶうつわから、
錐形の杯一つが、くっきりと力を誇示し、周囲を圧した。
この杯に何が入ってお客さんの席に届けたのだろう。
ヘタウマ言わず、温かみのあるブルーの花びらを描いたその筆遣い、じわじわと優しさが伝わってきて愛らしい。
店でビールジョッキとして使っていたなどとても考え難い。
定食屋で使うような杯というより、
女性店主の私物かしら。
一旦、思考を断ち切り、薄暗い店内を覗き込むように様子を確認してみた。女性店主一人、なんとなく寂しそうに、カウンターバーのお客様側に寄りかかっていた。
せめて挨拶しようか、となんとなく店先で足を休めてみたけれど、女性は終始店内から出てくる気配などなかった。ソーシャルディスタンスという言葉が、世に騒がせるこのご時世、店内に一礼して、粛々と錐形の子を連れて帰ることにした。
あれから数日経ち、店のシャッターが二度と上がることはなかった。
⋯
ご縁で我が家に嫁入りしたこの子を、
この頃なんとなく贔屓している。
この絵を描いた人、
この絵柄を選んだ人、
きっと愛想のいい人、
と思ってやまない。
器の形からして、ほとんど投げ入れしかまだできない私のような下手者には、花器としてはやや使い勝手が難しい。
今日も精一杯生けてみた。