長崎に行って避けて通れない歴史。
1945.8.9.am11:02
浦上上空500mで炸裂した悪魔の傷跡はこの場に立たずして語れない。
爆心地です。
何も知らずに立ち寄れば、其処は緑に囲まれた
手入れの行き届いた憩いの場です。
色々な思いが駆け巡り、鳥肌が立ちました。
世界の国を動かす偉い方達に
「どうかこの場に貴方も立って!」
と言いたい気分になりました。
戦争はいけません。いけませんね。
浦上天主堂
キリシタン弾圧の歴史を超え、信仰の自由を得た人々が
三十年の時を掛け造り上げた
「祈りの家」
原爆で倒壊の後、再建、改装を経て復元されました。
私はキリシタンではありませんから、只の見学者。
受付のご老人はそんな見学者を受け入れるのがご不満な様子でした。
「ごめんなさいね」
でも神様は全てを許して下さいました。
聖フィリッポ教会
日本二十六聖人殉教の地(西坂公園)
登ったり・・・
降りたり・・・
中町教会
「ほほえみの十字架」のある教会
二日間、歩いた歩数は30000歩を超えていました。
でもまだまだ訪ねたくて行けない所がありました。
このさほど広くも無い、傾斜の地に
古くからの歴史が所狭しと詰まっていました。
感慨の多い旅をしたと思いました。
そして時間がとれれば是非もう一度訪れてみたい処になりました。
頓珍漢人形(故 久保田馨氏作)
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胸がつまるような気持ちで見てきました。
長崎へいったら、辛いけどここだけは見ておかなければなりませんね。
それでもしっかりとこの目とこの胸に焼き付けてきました。
自分の人生のしあわせさも噛み締めつつ歩いた貴重な体験でした。
忘れてはいけない日本の経験でした。みんな消す事の出来ない歴史でした。
科学技術は進歩しているのに、人は少しも賢くなっていないようです。
憲法を変えて、武器を持った自衛隊が海外でいつでも自由に活動できるようにして欲しいと切望している国民が
一体何人いるでしょう。
それなのに、愛国心を強制し、憲法改定を急ぐ政治家に聞きたいですね。
あなたたちは自分の子や孫が殺されたり、他国の人を殺すのを望むのか、
「美しい國 日本」を再び焦土にしていいのかと。
人間は戦わずしては生きていけないものなのか?
この小さな星で流血の無い瞬間は有り得ないのか?
無力な家族や子供達がこんなに犠牲になっているのに戦いが無くならないのは何故?
「広島」「長崎」島国全部を巻き込んで最悪の経験をしたわたし達の国こそが今、世界に戦争の悲惨さを核の恐ろしさを声を大にして叫ばなくてはいけない筈なのに。。。
「お山の大将ぼくひとり!」なんて有りっこないのになぁ。