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急行特急TH発日曜深夜夜話2 - フリートーク-

2010年04月12日 01時10分11秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
急行特急TH「オープニングを終えまして、ダラダラと話を続けますが、先程の‘‘言い訳,,という話の続きを少ししようかなと思いますけれど、何故に相手に‘‘言い訳だ,,と感じられ、言われるのか、本当に解らない所です。色んなシチュエイションがありますから、一概に、‘‘コレが言い訳だ,,というのは無いですね。当たり前の話ですが。私は、誰かに対して、‘‘それは言い訳だろう,,と感じた事が、思い出せない過去にはあるんでしょうけれど、無いのが実情だったりします。だから、相手の言う所のこれが‘‘言い訳,,と感じる事が無いのかも知れません。相手の実情が多少自分がわかると感じられる範疇の事であれば、‘‘それも一理あるかな,,と言う面があるからなのかなとも思いますけれど、物事を前進させて行くには、時に冷酷になって、相手の言う事を振り切る選択も必要という事はあると思います。しかしそれは、自分のしている、或は、自分がして来た行動が口言でう事と合わない、所謂、‘‘言ってる事とやってる事が違う,,という風に相手に思わ
れる節や後ろめたさがあると、強気に出られない事が私にはあって、はっきりと物事の善し悪しを相手に対して言えない事はあります。ただでさえ多くの人々に嫌われて来た口なので、よっぽど、その相手に愛想が尽きて、お前何か知るかっ!という気持ちにかられない限りは、関係を壊したく無いが為に言えるに言えない現実もあると思います。それは立場的な問題もあると思います。そんな時こそ‘‘空気よまない,,という手段を講ずるのが良いのかなとか思いますが、なかなか出来る話じゃないなと思います。こうやって苦しい実情と胸の内を話しても、‘‘言い訳,,になってしまうのかな?と思ってしまいますけれど、ともかく相手に自分の気持ちと考えを遠回しな形やクドイ形であっても伝えて理解して欲しい所あるのですが、単なる我が儘にそれはなってしまうのかな?とも思えて、迷いは深まるばかり、答えは遠退く、遠ざけるな感じがしてしまいます。相手に客観的かつ冷酷な事を言う事でもその人の為だから…という考えに賛同はできますけれど、そういうのを相手に言
うと言うのは、日頃の不平不満やストレスを発散させたいが為に相手に言って、相手を傷つかせるか、嫌われる原因を創るだけに当たる気もして、ままならない。しかしそうは言いつつもどこかで、先程の‘‘言ってる事とやってる事が違う,,という事をしでかす自分もきっとあって、どう動くべきなのか?解らなくなってしまいますが、考えすぎなんでしょうか?言えば言う程、ドツボにはまって動けなくなります。こんな時、沈黙は金なのかも知れませんが、それは見て見ぬふりな所もあって、余計に迷う感じになります。訳の解らぬ話が過ぎてしまいましたが、この話はこれで今回は止めておきます。」
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急行特急TH発日曜深夜夜話1 -オープニング-

2010年04月12日 00時40分23秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
急行特急TH「はい、こんばんは~、急行特急THです。今夜もやると言う、妄想架空ラジオ番組‘‘急行特急TH発日曜深夜夜話,,であります。2回目の放送と相成りましたが、やっぱり、誰も聴いてはいないとはいえ、ひとりで自作自演して語るってのは、緊張しますね。同時に、‘‘おい、私、何、ひとり芝居やってんだよ,,という空しい気持ちもありつつ、うむ、今夜もやるか~的な感じでやっています。“Morning on”同様に、ネタ切れトークは許してくだせーまし、という泣き言を言っていますが、まーどちらも作り手は私ですんでね、似たりよったりの物になるのは言わずと知れた話なんですけれど、あれですよね、漫画が特にそうなのかな?小説でも同じか、登場人物が何人かいて、話が進行していくのが物語ですけど、そのキャラクター達1人1人にそれぞれの個性が当たり前にある訳で、それを考えて形にするというのはとても難しい事なんだななぁ…とふと思いました。こうして、訳の解らない、伝わらぬつもり物描き事してますと、幾ら‘‘似たりよったりで何が悪いっ!,,と開き直ってみるものの、やはり、似たよう性格と雰囲気が出て来てしまうキャクターしか描けない私は、無能力者だなと思ってしまいます。キャクターに息を吹き込んで、鼓動を起こして、ピコピコ動かし、動いて行く姿を見て、話を書いて行く訳ですがどうも自分の性格や考えがその生み出したキャラクターに入ってしまいますね。自分自身とそのキャラクター、簡単に言えば、涼風鈴子と私、急行特急TH、或は涼風鈴子と木田麻衣子は全くの違う人物像として描かれる筈が出来て居ない面あるんだろうな、と私には気付かない所でそう感じられる何かがあると思いますけれど、気付かされても、そのマンネリ化した物を生み出す私の力が変わるかと言えばそれはなくて、言うだけ無駄かもというのはありますね。誰かから何かを指摘されるのはとても感謝しなくてはいけない事ですけれど、性格的行動面は言われても気付いても、治らない自分が嫌いになってしまいますが、そんなに簡単に人は欠点を指摘されてそれが変わる物なのかは、疑問符を浮かべてしまいますね。あんまり4の5の言っても余計に伝わらないので、ここいらで止めにしますが、相手に解って欲しくて、アレコレ苦しい胸の内やどうにもならない出来ない事と繰り返してしまう悪事の訳を件名に説明しても、‘‘そんなの言い訳だっ!,,と一蹴されるのが1番苛立ちと怒りと悔しさともどかしさを覚える私は単に自尊心が高いからなんでしょうか?それらが自尊心と関わるのか疑問な所です。では、オープニングトークはここまでとします。今夜も最後までどうぞ宜しく」
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