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真夏の夜の午前3時過ぎの夜空に

2014年08月07日 03時28分26秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
真夏の深夜27時過ぎは静まり返っていて、良いよな~と思うなか、夜空を見たら、リボンを描く様な星が見えた。オリオン座だった。冬の星座が早くもおとずれを見せていたとはビックリであるが、私の人生どん底期にお似合いの季節が足音を立てつつあるようだ。
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今再びあの日の様に

2014年08月07日 01時30分53秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
こんな時だ、色々書いてしまおう――で7年前をふりかえると、この記事に辿りついた。それは2007年8月7日に書いた記事で、丁度、今日と同じ日付であった。
「敗けた」、「正しいのはいつでも私でない誰か」と愚痴る私がそこに居て。そういやこの話は、今は付き合いのない誰かに読まれた――このブログのユーアルエル教えたから、悪なき好奇心が故でそれは責められないよな、と思う(あれこれ書いても、読者が付かないな~と笑われたっけ。腹立ったけれど)。教えた当時は、誰かにこのブログ読んでもらいたい、知ってもらいたい、そんな想いがあったけれど、結果はふるわずで、見ての通り、私が一方的にガチャガチャ語り、誰の理解も得られないままに来ているけれど、それはそれでもういっかーと割り切っている。だって、「正しいのはいつでも私でない誰か」なのだから。私が四の五のここで語ろうが見向きされなくて当たり前~と今だから思う。
何の進歩もなく、ただただ空しく過ごす日々。7年後、再びこんな風になるなんて想像もしなかった。
あの当時は、まだ、携帯で気軽にネットと言う時代ではなかったので記事投稿もパラッパラッで、懐かしいな、と思うが。
それに悲しい。虚しい。
あの日も今もマイナスなモノしか出なくて、いつしかそれが当たり前になっていた。自分の家さえ、身の置き所がなかったのだから余計である。
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愛せぬもの

2014年08月07日 01時14分10秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
自分以外の誰にも届かない様な話ばかりが続くのは何故?なんと思う中、こんなことでもしてないと、やってられない――だからかも知れない。

↑ファンの歌手のファーストアルバムには、
↑『愛してる』と言う歌が収録されている。ラブソングでないのが特徴である。今、それを聴きながら記事投稿と言うお決まりのパターン。
この歌は、「我が身に起きたそのすべてを受けれよう。それを運命と呼んで、愛す」と言う意味で『愛している』と題名がついたらしい。
1993年のだいぶ年季がいった歌であるが、2003年にセルフカバーミックスで再び世に出た曲であって、93年バージョンを聴くと、物凄くかしこまって歌ってるな、と思えたりする・・・と言う話は余談である。

我が運命を愛せるか?と今問われたとしたら、私は肯定は出来ない。とてもではないが。そこまでの覚悟が定まっていたのなら、私は腐敗人にはなってはいない。
運命、と言うと、アニメ映画の『ブレイヴストーリー』を思い出す――そんな話もどこかでしただろうか、解らないが、「こんな運命なんて間違ってる!」とお化けマンションだか幽霊マンションだか忘れたけれど、そう叫んで、別世界での冒険が始まる物語。やったのいつだっけ?と言う感じだけれど、主人公と共にその別世界「ビジョン」の中での競争相手として出てくる芦川美鶴(漢字がれいによって、アヤフヤ)が居て、果ては、主人公がその世界でのゲームに勝利する。その勝利の時に、主人公が「自分の今の状態」つまり「運命」を受け入れる。親が離婚し、父親が出て行き、母親は自殺を図ろうとして、絶望的な中に立たされた主人公は、まだ小学生で、しかも兄弟もなく、そこまで精神的に強い訳じゃない。よくもそんな運命を受け入れたな、と思う。物語の感動所の為なんだろうが、大したもんだな、と思う。この運命をうらむ私からすれば。

なかなか色々はうまくはいかない。
けれど、その色々をうまく立ち回って、ちゃっかりと生きていく背中を見ていけば、自然に、馬鹿馬鹿しくなるもの。おまけにその「うまい立ち回り」が「努力」によるものなんて、とてもじゃないが受け入れることなんて出来ない。

7年前にたち戻った今もまた運命――だとしても、私は愛せもしなければ、受け入れよと言う話はあまりに酷な今である。

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夏の深夜に聴くファンの歌手の歌 “HERO”

2014年08月07日 00時42分40秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
何回も取り上げて、またか、的な所はお許しを。


↑『新しい羽根がついた日』と言う今から13年前に出たアルバム収録曲“HERO”。イントロが頭を過る事が何回かあった今日この頃で、どのくらい前だった?で思い出せない。調べてみてもその話はしてないのか――書いたと思ったのに。

「夢から覚める時を思って、夢見る人はどこにもいない」と歌われている。これまでの日々は、良い夢だった――そんな風に言える筈もなく、けれど、夢みたいな事は幾つかないこともなくて。幸せな側面が0であったと言う訳ではないけれど、そこから覚めた今、3回目の敗けへの悔しさに唇を噛む。
儚く消えて逝ったのは、間違いない。出来るなら戻りたい時でもある。甘さと苦さの2つが共存するジレンマはあるが。

「始まりじゃなく、終わりでもない。そこには道がただ続くだけ」ともこの曲には出てくる。新しい人生なぞ始まってはいないが、終わった事は確かで、歩きたくない道が延々と続くのをみると、まざまざと見せつけられる敗北。ヒーローになれた事はないけれど、転び落ちてしまったそれまでの日々は、再び2007年のあの日である。
「決め球のカーヴ」も「必殺の左フック」も通用しない日がくることを私は1度たりとも望んだ訳はない。
そんな心模様の中で、また聴いてみよう、聴きながら何かを語ろう、そう思った今である。
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夏の深夜に聴くファンの歌手の歌『桜駅』

2014年08月07日 00時07分56秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
深夜、不意に聴きたく成った、ファンの歌手篠原美也子の曲。


↑今から4年前に出たアルバム『バード・アローン』より、『桜駅』。
季節考えろよ――でも何か聴きたくなって。
ピアノ1本の歌で、駅から見える桜の花が咲いていた木とその記憶を歌うもの。その駅を出る電車の車窓からもその花が咲く桜の木が見えるようで。

「スピードが上がり小さくなって、振り向いてももう見えない。立ち去ったのはこうやっていつも、季節じゃなくて私だった」
と『桜駅』では歌われている。
振り向いてももう見えない――そうなるくらいに時間は経ってなくて、思い出したくなくてでもまだ記憶に残る過ぎ去った日と時間。
確かに、立ち去ったのは、立ち去る意志を示したのは違いない。季節みたいに自然な流れと言う訳ではなくて。
桜散って葉桜になって、今はもう誰の目にもつかない街路樹みたいになっていて。夏の中、春先の話を持ち出しても――ではあるけれど、私の心中で咲いていた薄紅色の花が散ったのは本当に直近のことで、まだ、癒されぬ傷と共にここにある。
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