ファンの歌手の曲から2曲を選んで話をしてみたい。
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↑1994年のファンの歌手、篠原美也子のアルバム『いとおしいグレイ』より“Tokyo 22:00”。これまで何回か紹介はしてきているけれど。
夜の街を行く主人公が夜の街?で信号待ちをしているヒール靴を履いて目を赤くしていた女性を見かける所から歌は始まり、主人公が自分の住む街と自分の日々と誰かの日々を思う歌。詳しい歌詞は、このサイトをご覧いただければと思う。
「本当は誰より背中を押してほしい」
「何てことないつまらない話を誰かとしたい」
そんな想いも込められていて、何かそこが今の自分にはよく解って。
そうは言ったも、実際、背中を押されても今の私では動けないだろうなと思う。他人の背中を押すことは、容易い。優しくも強くも押すことは、他人の背中だからこそ出来て、自分で自分の背中を押すことは出来ないもの。
いつかに、この街で張ってでも生きていこうとする意志のある背中に会ったと言う話をした。それは、この街で生きていこうとする力がいかに自分がないか、を突きつけられたのと同時に、そんな風な当たり前に誰もが出来ることが自分には出来ないと言う現実を突きつけられるとつらい。
「人をうらやむ事で自分を許す事をいつか覚えてしまった。なりたいものを追うより、なれるものをいつの間にか探していたね」とも“Tokyo 22:00”の中では歌われていて、今ならそれに同調出来るかなと思う。
↑オリジナル版の『花束』を聴くシーンを形にしたのはいつだったか忘れてしまったが、ボロボロになったジャケットの2曲目にそれは入っている。
「季節は変わって行くだけで、時間は流れて行くだけで。気付けばぽつんとひとりきり。自分で自分を抱きしめる。泣かないで、お願い。泣かないで。泣かないで」と篠原美也子『花束』の中では歌われている。
自分で自分を抱きしめる――私には出来ないな、と最近思う。自分で自分を抱きしめてみても、慰められるものはなくて。誰かに抱きしめてもらっても、必ずしも慰められる訳じゃない。でも、抱きしめられて慰められるなら、抱きしめてもらいたいときは人間ある、きっとあると私は今年に思う。そんなのは甘えているだけだ、と言われればそうだろう。だが、不幸な事に私はそこまで強くはない。強者に弱者の気持ちは解らない――と口にしても負けなんだろうか?
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夜の街を行く主人公が夜の街?で信号待ちをしているヒール靴を履いて目を赤くしていた女性を見かける所から歌は始まり、主人公が自分の住む街と自分の日々と誰かの日々を思う歌。詳しい歌詞は、このサイトをご覧いただければと思う。
「本当は誰より背中を押してほしい」
「何てことないつまらない話を誰かとしたい」
そんな想いも込められていて、何かそこが今の自分にはよく解って。
そうは言ったも、実際、背中を押されても今の私では動けないだろうなと思う。他人の背中を押すことは、容易い。優しくも強くも押すことは、他人の背中だからこそ出来て、自分で自分の背中を押すことは出来ないもの。
いつかに、この街で張ってでも生きていこうとする意志のある背中に会ったと言う話をした。それは、この街で生きていこうとする力がいかに自分がないか、を突きつけられたのと同時に、そんな風な当たり前に誰もが出来ることが自分には出来ないと言う現実を突きつけられるとつらい。
「人をうらやむ事で自分を許す事をいつか覚えてしまった。なりたいものを追うより、なれるものをいつの間にか探していたね」とも“Tokyo 22:00”の中では歌われていて、今ならそれに同調出来るかなと思う。
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「季節は変わって行くだけで、時間は流れて行くだけで。気付けばぽつんとひとりきり。自分で自分を抱きしめる。泣かないで、お願い。泣かないで。泣かないで」と篠原美也子『花束』の中では歌われている。
自分で自分を抱きしめる――私には出来ないな、と最近思う。自分で自分を抱きしめてみても、慰められるものはなくて。誰かに抱きしめてもらっても、必ずしも慰められる訳じゃない。でも、抱きしめられて慰められるなら、抱きしめてもらいたいときは人間ある、きっとあると私は今年に思う。そんなのは甘えているだけだ、と言われればそうだろう。だが、不幸な事に私はそこまで強くはない。強者に弱者の気持ちは解らない――と口にしても負けなんだろうか?