今日のパムッカレ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
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去年の今頃5日間ほど入院していました。
原因は近所のクリニックで誤診され、持病に良くない薬を処方され
胃潰瘍になってしまったのです。
食欲がなく、口内炎もあってか食べ物を口にするのも
酷でした。そして、夜中に突然吐血し倒れ、救急病院に
自家用車で運ばれたんです。即入院。
病院に向かう前に、もう意識がもうろうとしていたのにも
関わらず、毛玉だらけのパジャマから着替えたりもしていた。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock2.gif)
貧血が酷かったらしく、生まれて初めての輸血も![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_shock1.gif)
トルコ大丈夫かなあ。。。
部屋は4人部屋でカーテンの仕切りなし![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_acha.gif)
しかも絶対安静でトイレもベッドの上。
栄養は勿論点滴で。
トルコの国立病院は完全看護ではなく、必ず身内が
患者の身の回りの世話をすることになっていて、
うちでは、夫と義姉が付き添ってくれました。
付き添いの食事は朝昼晩と無料で出ます。
2年前かな?義母が手術入院したときは
個室に入れてもらえた。保険があるので
無料♪エアコン、テレビ、シャワーにトイレ、
付き添い用のソファベッドもあった。
あーん、金払ってもいいから、個室にしてくれ~![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
消化器病棟のせいか、検査入院の患者も多く、出入りが激しかった。
その都度、シーツや枕カバーは取り替えているというわけではなく、
気づいたらやっているてな感じ。ところが、掃除に関しては
1日3回くらい念入りにやっていたっけ。
やはり、外国人、日本人が入院というのも珍しく
みんなに好奇の目で見られた。夫が彼女は何の病気なの?
と聞かれ、冗談で「豚インフルエンザ」と言い、
質問者の顔色が変わっていた。
また、夫はちゃっかり自宅からパジャマを持参し
まるで、患者のようにベッドに横たわっていた。
(自分のパジャマと一緒に私のも持ってきた。その
パジャマは私が意識もうろうとしながらも脱ぎ捨てた
あの毛玉パジャマだった~
)
一応、女性患者の部屋なのに、男性が寝ているので
そこを訪れた人はみなびっくりしていた。
大部屋は付き添い用のベッドはないので、
空いたベッドがあれば、そこで寝る。
1度、満室になり、夫が私の隣で、義姉が他の患者さんの
ご好意で隣に寝させてもらったことがあった。
それ以外は運良くベッドは確保できた。
夫は看護士さんに、僕も病気だから誰もこの部屋に
入院させないでね~なんて冗談も言っていた。
夫は1日2回の担当医の回診やら私が用を足したいときには
なぜかタバコを吸いに外に出ていたので、いつも義姉が
私の下の世話をする羽目になっていた。義姉は苦笑しながらも
嫌がらず、排出物の色、形を看護士さんに報告していました。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
夫は自分が見たいテレビを
いつも独占し、なんか病院生活を楽しんでいるようだった。
一度家に戻って身の回りのものを持ってきた夫とは
違い、義姉は5日間病院から一歩も出ることなかった。
動けない、食べられない、私は痛みもあってか
生きる気力も失せていた。でも、家にはケントが
待っている!ケントは1ヶ月失踪して私の元に帰ってきてくれたのだ。
また、何も知らない日本の両親を悲しませたくはない、私に何かあったら
夫を責めるのじゃないか?そればかりが気がかりでした。
トルコでは一人で生きてはいけないとしみじみと痛感した。
でも、入院患者に一人身はいないかといえば、そうではなく
中には孤独な老人もいた。
同室となったおばあさんが二人ほどいたが、
その世話は義姉が買ってでた。トルコでは
当たり前のようで出来る人がやる、そんな風潮があるのでしょう。
病院はいつも見舞い客でごった返し。
孤独な患者にはボランティアで
高校生達が見舞いに来たりしていた。
そして、5日目に晴れて退院許可が出た。
嬉しかったけど、えええ~明日から
点滴なしで何を食べたらいいの??
日本だったら、食事が普通食に戻るまでは
経過観察も兼ねて、私の病状では最低3週間くらいは
入院させられていたんじゃないかなあ・・・。
退院後、家に戻ったはいいけれど、
トルコ式お見舞いには参った。
既に我が家は他の義姉によって
掃除が行き届いていて
いつ見舞い客が来てもいいようには
なっていたけれど、私が戻ってきたその日に
なんと、全カーテンを洗い始めたのだ。
つまり、外から丸見えだし、しかも眩しい。
まだ完治していないし、5日間寝たきりだったわけで、
普通に歩くことも困難だった。それなのに
近所の人が来てくれたからと、私がベッドから
出るのが苦痛だと言っても折角来てくれたのだから
リビングに来いと言われた。
おーい、私は病人なんですけど~![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_shock2.gif)
そして、極めつけは近所のオーストラリア人、イギリス人、アメリカ人の
女3人組がビールを持ってやってきた。
「退院おめでとう!一緒に飲もうぜ」![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_shock2.gif)
退院祝いはビールですか
そちらのカルチャーでしょうか![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase1.gif)
1年前を振り返って、義姉には本当に感謝です。
一生この恩は忘れちゃいけないわ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/c0/352dd05e2756af9d9742b0456051e489.jpg)
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去年の今頃5日間ほど入院していました。
原因は近所のクリニックで誤診され、持病に良くない薬を処方され
胃潰瘍になってしまったのです。
食欲がなく、口内炎もあってか食べ物を口にするのも
酷でした。そして、夜中に突然吐血し倒れ、救急病院に
自家用車で運ばれたんです。即入院。
病院に向かう前に、もう意識がもうろうとしていたのにも
関わらず、毛玉だらけのパジャマから着替えたりもしていた。
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貧血が酷かったらしく、生まれて初めての輸血も
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トルコ大丈夫かなあ。。。
部屋は4人部屋でカーテンの仕切りなし
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しかも絶対安静でトイレもベッドの上。
栄養は勿論点滴で。
トルコの国立病院は完全看護ではなく、必ず身内が
患者の身の回りの世話をすることになっていて、
うちでは、夫と義姉が付き添ってくれました。
付き添いの食事は朝昼晩と無料で出ます。
2年前かな?義母が手術入院したときは
個室に入れてもらえた。保険があるので
無料♪エアコン、テレビ、シャワーにトイレ、
付き添い用のソファベッドもあった。
あーん、金払ってもいいから、個室にしてくれ~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
消化器病棟のせいか、検査入院の患者も多く、出入りが激しかった。
その都度、シーツや枕カバーは取り替えているというわけではなく、
気づいたらやっているてな感じ。ところが、掃除に関しては
1日3回くらい念入りにやっていたっけ。
やはり、外国人、日本人が入院というのも珍しく
みんなに好奇の目で見られた。夫が彼女は何の病気なの?
と聞かれ、冗談で「豚インフルエンザ」と言い、
質問者の顔色が変わっていた。
また、夫はちゃっかり自宅からパジャマを持参し
まるで、患者のようにベッドに横たわっていた。
(自分のパジャマと一緒に私のも持ってきた。その
パジャマは私が意識もうろうとしながらも脱ぎ捨てた
あの毛玉パジャマだった~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_ang3.gif)
一応、女性患者の部屋なのに、男性が寝ているので
そこを訪れた人はみなびっくりしていた。
大部屋は付き添い用のベッドはないので、
空いたベッドがあれば、そこで寝る。
1度、満室になり、夫が私の隣で、義姉が他の患者さんの
ご好意で隣に寝させてもらったことがあった。
それ以外は運良くベッドは確保できた。
夫は看護士さんに、僕も病気だから誰もこの部屋に
入院させないでね~なんて冗談も言っていた。
夫は1日2回の担当医の回診やら私が用を足したいときには
なぜかタバコを吸いに外に出ていたので、いつも義姉が
私の下の世話をする羽目になっていた。義姉は苦笑しながらも
嫌がらず、排出物の色、形を看護士さんに報告していました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
夫は自分が見たいテレビを
いつも独占し、なんか病院生活を楽しんでいるようだった。
一度家に戻って身の回りのものを持ってきた夫とは
違い、義姉は5日間病院から一歩も出ることなかった。
動けない、食べられない、私は痛みもあってか
生きる気力も失せていた。でも、家にはケントが
待っている!ケントは1ヶ月失踪して私の元に帰ってきてくれたのだ。
また、何も知らない日本の両親を悲しませたくはない、私に何かあったら
夫を責めるのじゃないか?そればかりが気がかりでした。
トルコでは一人で生きてはいけないとしみじみと痛感した。
でも、入院患者に一人身はいないかといえば、そうではなく
中には孤独な老人もいた。
同室となったおばあさんが二人ほどいたが、
その世話は義姉が買ってでた。トルコでは
当たり前のようで出来る人がやる、そんな風潮があるのでしょう。
病院はいつも見舞い客でごった返し。
孤独な患者にはボランティアで
高校生達が見舞いに来たりしていた。
そして、5日目に晴れて退院許可が出た。
嬉しかったけど、えええ~明日から
点滴なしで何を食べたらいいの??
日本だったら、食事が普通食に戻るまでは
経過観察も兼ねて、私の病状では最低3週間くらいは
入院させられていたんじゃないかなあ・・・。
退院後、家に戻ったはいいけれど、
トルコ式お見舞いには参った。
既に我が家は他の義姉によって
掃除が行き届いていて
いつ見舞い客が来てもいいようには
なっていたけれど、私が戻ってきたその日に
なんと、全カーテンを洗い始めたのだ。
つまり、外から丸見えだし、しかも眩しい。
まだ完治していないし、5日間寝たきりだったわけで、
普通に歩くことも困難だった。それなのに
近所の人が来てくれたからと、私がベッドから
出るのが苦痛だと言っても折角来てくれたのだから
リビングに来いと言われた。
おーい、私は病人なんですけど~
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そして、極めつけは近所のオーストラリア人、イギリス人、アメリカ人の
女3人組がビールを持ってやってきた。
「退院おめでとう!一緒に飲もうぜ」
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退院祝いはビールですか
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1年前を振り返って、義姉には本当に感謝です。
一生この恩は忘れちゃいけないわ。
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