私が利用しているgooブログが、「ブログ通信簿」という一風変わった代物をこしらえました。
なんでも、最新10件の記事を分析して「通信簿」を作ってくれるのだとか。
早速私も数日前から記事更新のたびに調べてみています。
すると今日、今までとちょっと違う結果が出たので、ここに載せてみました。
てか、この評価ポイント何。
「主張度」「気楽度」「マメ度」「影響度」...さっぱりわけが分りません(笑)。
一番判断しやすそうな「マメ度」ですら、調べ始めてから更新頻度がほとんど変わらないにも関わらず今日いきなり3から5にアップしたのです。一体なぜ.....。
また心外なのは「主張度」がおそろしく低いことです。
5段階評価で2なうえ、文章にまで毎回主張しなさ過ぎと書かれるんですよ。
私ってそんなに主張してない???自分では毒舌か(正確には「毒舌の本性を出し過ぎたか」)と思うくらい言い過ぎることもあるんだけどなあ。
ブログは公共の場だからと思って自分なりに控えめにしているつもりでいたら、控え過ぎて主張の曖昧な文章になってたのでしょうか。
もっと言ってもいいってこと?マジで!?!?(←早合点しないしない)
じゃ、お言葉に甘えて毒舌は封印しません。うふ。うふふふ。(←そうとうキモいぞ)
しかし何より笑ってしまうのは、何度調べても100%ブログ制作者は男と出ることです。
これは一番気に入ったー!!!しかも年齢が必ず実年齢より上(一度など46歳=理想の年齢)と弾き出されるのが嬉しいのなんの。
例によって例の如く、何が根拠なのかは謎です。一人称も「小生」と書きたいのをぐっと堪えて「私」と書いてるしねえ。
(ちなみに私は「わたし」と読みます。「あたし」じゃないよ。わざと「あたくし」と言うことはあるけど。喋っている私の一人称を聞いても「わたし」と発音できているはずだが、「わたし」という平仮名にそこはかとなく漂う女子ムードを綺麗サッパリ払拭したくて、自分が「わたし」と発音すると頭上にフキダシで「私」という漢字がボンッと出たらいいなあとつねづね思っとります。)
今までの通信簿が気に入らずここに公開しなかったのは「一般生徒」という評定が下されていたからでした。
私は「一般」や「平均」は最も厭うべきものと思って学生時代を過ごしてきました。どん底でも天辺でもとにかくきょくたんな存在でありたいと考えており、通信簿の一番良い教科と一番悪い教科に天と地の開きがある時が何より嬉しかったです。
よく「得意科目と不得意科目に差がある」のを問題視して是正しようとする人がいるけど、私が親や教師の立場だったら出来る方をひたすらに磨くことを勧めます。
そんじょそこらのテストじゃ測定できないくらいに磨くんですよ。小学生なのに常用じゃない漢字を覚えるとか(笑)。
抜きん出て成績の良い科目があるってことは、本人がすごく興味を持っているとか、適性のかなり高い分野である可能性があります。だからそれを極めるのが才能の発掘につながると思います。
同じことが成績の悪い科目にもいえますね。成績が悪いのは「本人が嫌い」「才能に恵まれてない」などの理由が考えられ、どちらの場合であってもそれを良くしようと努力させることは本人にとってあまり快適ではないことになります。
よく勉強をスポ根ドラマと同じようにとらえている場合(これからの人生で降り掛かる試練と闘うためだ、など)がありますが、これ、ホントやめといた方がいいです。
そんなことしたら、勉強が嫌いになっちゃうよ。
勉強はそれ自体がとても楽しいものです。知らなかったことが分ったり、興味のある分野をさらに掘り下げるのって、この上なくワクワクする行為なのです。
だからいくら成績が偏ったっていい、まずは好きなことを徹底的に学んで、勉強の楽しさを知るのが大切。
例えば将来やりたいことのためにほかの科目も勉強しなくちゃならない必要が出てきたなら、それから勉強したって遅くはないのです。
そしてどうしても勉強が好きになれなかったら(カエルを好きになれない人がいるのと同じで、残念だけどあり得ることです)勉強などやめてしまうのがよかろう。
で、さっさとほかに自分が打ち込める何かを探すのだ。広い世の中、どこかには自分の生き甲斐を見出せることがあるはずです。
どうも昔から「勉強論」を語り出すと酒席の酔ったオヤジ並みに一席ぶちたくなる癖があって良くないなあ(笑)。
それは自分の勉強メソッドは自分で編み出したものだからですね。
私は「漢字」「箸の持ち方」そして「勉強法」は誰からも教えてもらわなかったので、自分で調べるなり研究するなりして身につけました。
漢字は本や小学校の掲示を見て書き写して覚えました。そのせいで書き順はひどいけど。
逆にお箸は研究の結果正しい持ち方に落ち着いたので、あれは元々とても合理的な持ち方なんですね。母がひっどい持ち方してるとこを見ると、私の持ち方は育ててくれた祖父母から習ったのではなさそうです。
勉強に関しては、実は偉そうに言うほど一生懸命勉強したわけじゃないんです。塾にも一度も行ってないですし。
ただ学校でやれと命じられて義務にかられてするような勉強はしなかっただけで、自分の趣味の延長のようにして暗記したりしたことは一般的にいえば「勉強」にあたるのでしょう。
(暗記のテストは脳トレみたいなもので、教養を深めるのとはまた別の楽しさがあります。そう考えれば学校の勉強だって決して義務っぽくないですね。)
ムダに長くなっちゃいましたが、学校教育はもっと根本的に「勉強を楽しむ」「得意分野をのばす」って方向で行った方が、一昔前のゆとり教育なんかよりよほど効果的じゃないかと思う、というお話でした。
これで「主張」したってことになるかな?
なんでも、最新10件の記事を分析して「通信簿」を作ってくれるのだとか。
早速私も数日前から記事更新のたびに調べてみています。
すると今日、今までとちょっと違う結果が出たので、ここに載せてみました。
てか、この評価ポイント何。
「主張度」「気楽度」「マメ度」「影響度」...さっぱりわけが分りません(笑)。
一番判断しやすそうな「マメ度」ですら、調べ始めてから更新頻度がほとんど変わらないにも関わらず今日いきなり3から5にアップしたのです。一体なぜ.....。
また心外なのは「主張度」がおそろしく低いことです。
5段階評価で2なうえ、文章にまで毎回主張しなさ過ぎと書かれるんですよ。
私ってそんなに主張してない???自分では毒舌か(正確には「毒舌の本性を出し過ぎたか」)と思うくらい言い過ぎることもあるんだけどなあ。
ブログは公共の場だからと思って自分なりに控えめにしているつもりでいたら、控え過ぎて主張の曖昧な文章になってたのでしょうか。
もっと言ってもいいってこと?マジで!?!?(←早合点しないしない)
じゃ、お言葉に甘えて毒舌は封印しません。うふ。うふふふ。(←そうとうキモいぞ)
しかし何より笑ってしまうのは、何度調べても100%ブログ制作者は男と出ることです。
これは一番気に入ったー!!!しかも年齢が必ず実年齢より上(一度など46歳=理想の年齢)と弾き出されるのが嬉しいのなんの。
例によって例の如く、何が根拠なのかは謎です。一人称も「小生」と書きたいのをぐっと堪えて「私」と書いてるしねえ。
(ちなみに私は「わたし」と読みます。「あたし」じゃないよ。わざと「あたくし」と言うことはあるけど。喋っている私の一人称を聞いても「わたし」と発音できているはずだが、「わたし」という平仮名にそこはかとなく漂う女子ムードを綺麗サッパリ払拭したくて、自分が「わたし」と発音すると頭上にフキダシで「私」という漢字がボンッと出たらいいなあとつねづね思っとります。)
今までの通信簿が気に入らずここに公開しなかったのは「一般生徒」という評定が下されていたからでした。
私は「一般」や「平均」は最も厭うべきものと思って学生時代を過ごしてきました。どん底でも天辺でもとにかくきょくたんな存在でありたいと考えており、通信簿の一番良い教科と一番悪い教科に天と地の開きがある時が何より嬉しかったです。
よく「得意科目と不得意科目に差がある」のを問題視して是正しようとする人がいるけど、私が親や教師の立場だったら出来る方をひたすらに磨くことを勧めます。
そんじょそこらのテストじゃ測定できないくらいに磨くんですよ。小学生なのに常用じゃない漢字を覚えるとか(笑)。
抜きん出て成績の良い科目があるってことは、本人がすごく興味を持っているとか、適性のかなり高い分野である可能性があります。だからそれを極めるのが才能の発掘につながると思います。
同じことが成績の悪い科目にもいえますね。成績が悪いのは「本人が嫌い」「才能に恵まれてない」などの理由が考えられ、どちらの場合であってもそれを良くしようと努力させることは本人にとってあまり快適ではないことになります。
よく勉強をスポ根ドラマと同じようにとらえている場合(これからの人生で降り掛かる試練と闘うためだ、など)がありますが、これ、ホントやめといた方がいいです。
そんなことしたら、勉強が嫌いになっちゃうよ。
勉強はそれ自体がとても楽しいものです。知らなかったことが分ったり、興味のある分野をさらに掘り下げるのって、この上なくワクワクする行為なのです。
だからいくら成績が偏ったっていい、まずは好きなことを徹底的に学んで、勉強の楽しさを知るのが大切。
例えば将来やりたいことのためにほかの科目も勉強しなくちゃならない必要が出てきたなら、それから勉強したって遅くはないのです。
そしてどうしても勉強が好きになれなかったら(カエルを好きになれない人がいるのと同じで、残念だけどあり得ることです)勉強などやめてしまうのがよかろう。
で、さっさとほかに自分が打ち込める何かを探すのだ。広い世の中、どこかには自分の生き甲斐を見出せることがあるはずです。
どうも昔から「勉強論」を語り出すと酒席の酔ったオヤジ並みに一席ぶちたくなる癖があって良くないなあ(笑)。
それは自分の勉強メソッドは自分で編み出したものだからですね。
私は「漢字」「箸の持ち方」そして「勉強法」は誰からも教えてもらわなかったので、自分で調べるなり研究するなりして身につけました。
漢字は本や小学校の掲示を見て書き写して覚えました。そのせいで書き順はひどいけど。
逆にお箸は研究の結果正しい持ち方に落ち着いたので、あれは元々とても合理的な持ち方なんですね。母がひっどい持ち方してるとこを見ると、私の持ち方は育ててくれた祖父母から習ったのではなさそうです。
勉強に関しては、実は偉そうに言うほど一生懸命勉強したわけじゃないんです。塾にも一度も行ってないですし。
ただ学校でやれと命じられて義務にかられてするような勉強はしなかっただけで、自分の趣味の延長のようにして暗記したりしたことは一般的にいえば「勉強」にあたるのでしょう。
(暗記のテストは脳トレみたいなもので、教養を深めるのとはまた別の楽しさがあります。そう考えれば学校の勉強だって決して義務っぽくないですね。)
ムダに長くなっちゃいましたが、学校教育はもっと根本的に「勉強を楽しむ」「得意分野をのばす」って方向で行った方が、一昔前のゆとり教育なんかよりよほど効果的じゃないかと思う、というお話でした。
これで「主張」したってことになるかな?