最初は俳句の先生として多佳子に接していた久女でしたが、だんだん慣れ親しむようになると、久女の生来の率直さから「ダイヤを捨て馬車を捨てて芸術家の夫に嫁したが、一枚の絵も描かず田舎教師に堕ちて了った」と自身の身の上話までするような間柄になったようです。
この辺りのことを後に多佳子は〈久女は初めは私の先生として、終わり頃は身に渦巻く熱情を私達夫婦にぶつけるように、訴えるように通って来られるようになった〉と書いています。
久女は後に櫓山荘を詠んだこんな句もつくっています。
「水汲み女に 門坂急な 避暑館」
久女は多佳子と俳句の話に熱中し、弁当持参で夕食の時間になっても腰を上げないので、多佳子の夫、豊次郎が家庭を顧みないと久女を非難して櫓山荘への出入りを禁じたとの風聞が、〈久女伝説〉として残っているのだそうです。
多佳子の夫、橋本豊次郎が櫓山荘への出入りを禁じたというこの話は、どこか変ですね。久女は俳句の先生として櫓山荘に来ているわけで、久女のことを家庭を顧みないと非難するなんて、それはよその家庭の事に首を突っ込むことで、この夫はものが判らない非常識な人に思えますが...。
この話は面白い話で、俳句のことになると俳句しか考えられなくなる久女の面目躍如で、久女像をうまく捉えた話だとは思いますが、実際はどうだったのか、何か他のことが絡んでいる、としている研究書も多々あるようです。
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