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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

俳人杉田久女(考) ~苦悩の日々~ (26) 

2015年10月12日 | 俳人杉田久女(考)

前回10月10日に「飯盛神社の流鏑馬(やぶさめ)」という記事を書いたので、杉田久女ならこの流鏑馬をどんな風に詠むだろうかと興味が湧き、彼女の句に流鏑馬を詠んだものがないか調べましたが、残念ながら調べた範囲では見つかりませんでした。少しがっかりしましたね~。

                               

大正10年(1921)から大正14、5年にかけての久女は、自らの境遇の中でもがき苦しみ、ひたすら生きる道を手探りで探し続けた日々であった様です。

生き直したいと教会に通い、又、所属教会の設立資金調達のバザー出品のため刺繍、手芸品などを作ったりと、以前の俳句漬けの日々とは違った日常だったようで、久女年譜の中にも〈教会と家庭に明け暮れしていた。俳句も趣味程度〉との記述があります。

そんな中でも『ホトトギス』への投句を完全にやめてしまったわけではなかったようですが、作句は低調で低迷時代は数年続きました。

久女年譜によると大正12(1923)年から数年間、久女は私立勝山女学校(現三萩野女子高等学校)で図画と国語を教えていました。更にその翌年には、県立京都高等女学校で卒業生と父兄を対象にフランス刺繍の講師として教えています。

この事から、お茶の水高女で学んだ知識、技術は人に教えることが出来る域に達していたんだな~と感じます。お茶の水高女で培ったことが、久女俳句の芸術性を支えている要素の一部と言えるかもしれません。

下はこの頃の句でしょうか

       「 押し習ふ 卒業式の 太鼓判 」


平成23年秋に北九州市立文学館で催された「花衣 俳人杉田久女」展で、久女が制作した帯が出展されているのを見ました。少し黄ばんでいましたが、白羽二重に彼女が鳳凰に牡丹を配した図案を描き、刺繍をしたもので、見事な出来栄えの帯でした。


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