日々の暮らしに輝きを!

since 2011
俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

てくてく歩きのパリ ~プチ・パレ~

2019年10月04日 |    パリ(2019)

今まで前を通りながら、「お洒落な建物だな~」、「たしか美術館らしい」、「中はどうなっているのかな~」などと思いながら通り過ぎるだけだったプチ・パレに初めて足を踏み入れました!
<プチ・パレ>

ガイドブックによるとプチ・パレは1900年のパリ万博の為に建てられ、その時はフランス美術の展示会場だった様ですが、今はパリ市立プチ・パレ美術館として一般公開されているのだそうです。

中に入ると入場料無料でした! そしてまず玄関ホールのドームを頂く高い天井、自然光がふりそそぐ大きな窓など建物の壮麗さに驚きました。まさに「プチ・パレ」の名の通り小さな宮殿ですね。
<玄関ホール>
<展示室>

展示品はクールベ、モネ、マネなどの18~19世紀の絵画、エミール、ガレなどの装飾美術、ローマ時代から近代までの彫刻など多岐にわたっているようでした。

何より驚いたのは、アングルの「レオナルド・ダビンチの死」がここに展示されていたことです。思っていたよりずっとずっと小さな絵でびっくりしました。
アングル作 レオナルド・ダビンチの死>

この絵はレオナルド・ダビンチの生涯を紹介する際によく引き合いに出されるアングルの作品です。晩年、ダビンチはフランス国王、フランソワ1世の招きによってアンポワーズに移り住みます。そして王の居城のアンポワーズ城近くのクロ・リュセを王から与えられ、ここが終の棲家になりました。アンポワーズ城とクロ・リュセは地下道でつながっていて、フランソワ1世はダビンチを慕い度々訪ねられたそうです。


ダビンチはこの恵まれた環境の中で晩年の3年間を過ごし、絵画や数々の研究に取り組みました。シャンポール城の二重らせん階段の構想も彼のアイデアではないかと言われています。

上の絵によるとダビンチは国王、フランソワ1世の腕に抱かれながら亡くなったかの様に描かれていますが、国王はダビンチの最期には立ち会えませんでした。この部分は完全なフィクションなのだそうです。しかし史実ではないにしても、この絵からはフランソワ1世とダビンチの厚い友情と親交の深さを感じることが出来るように思います。

プチ・パレを見学した数日後に、ロワール川のお城めぐりでダビンチが住んだクロ・リュセを訪ねることになっていたので、ここで思いがけずこの絵に出会えてとても嬉しく思いました。