日々の暮らしに輝きを!

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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

紅葉狩り

2015年11月13日 | お出かけ

英彦山神社の久女句碑を見た後、高住神社(豊前坊)に寄りました。ここはよく知られた紅葉スポットらしく多くのシニアが訪れ、平日にも関わらず駐車場の空きを探すのにも苦労するほどでした。

駐車場横に数本の見事な深紅のカエデがあり、皆これを見上げながらカメラに収めています。




鳥居をくぐり参道を本殿に近づくと、左側に大きな橡(とち)の木があり、その木の下に久女の句碑がありました。
<高住神社>
<久女句碑>

句碑には

       「橡のみの つぶて颪(おろし)や 豊前坊」

と、少し剥げぎみの赤い字で彫ってあります。句碑の字は、この句を久女が揮毫したものが見つからなかったらしく、長女の昌子さんが揮毫されたのだそうです。

これは
昭和5年に東京日日新聞と大阪毎日新聞主催の「日本新名勝俳句」で銀賞を受けた句で、英彦山の句碑に較べるとだいぶ小ぶりです。石の形が丸み帯びていて字が赤で彫ってあるからでしょうか、何となく女性的な感じのする句碑です。四十数年前に見たのと変わらぬ姿で、ここにあるのを見つけ、何だかホッとして嬉しくなりました。

豊前坊から大分県の紅葉のメッカ、深耶馬溪に行きました。

深耶馬渓の紅葉は、山の岩肌とその裾の紅葉の取り合わせが素晴らしいのですが、年々広葉の色が薄くなってきた様な気がします。だいぶ前までは深紅というか、もっと深い赤に染まったカエデが多かった様な気がしますが...。

下は一目八景の展望台からみた鳶の巣山の紅葉です。


この日は平日でしたが好天だった為か、観光バスが何台も訪れ、狭い道の両側には土産物屋さんや食堂などが並び、元気なシニアであふれていました(^-^) 私もセイロでお饅頭を蒸しているお店で、そば饅頭や柿を買ったりしました。

   秋晴れや 久女にさそわれ 紅葉狩り     リラ  

おそまつ(どこかに似たような句があったかも?)!           

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英彦山神社の久女句碑

2015年11月12日 | お出かけ

昨日、英彦山神社下宮(奉幣殿)、高住神社(豊前坊)、深耶馬溪、大分県庁舎に行って参りました。朝早く家を出発し、帰り着いたのは夜10時近くという強行スケジュールでした。

耶馬溪には時々行きますが、英彦山神社は三十数年ぶり、高住神社は四十数年ぶりでした。紅葉狩りの他に、この二つの神社の表参道にある杉田久女の句碑に再び会うのも目的の一つでした。

英彦山神社の表参道の石段は、一段が非常に高く天狗サイズとも言われるほどの段差で、登るのが大変でしたが、今回行ってみると、この表参道に並行してスロープカーとよばれる乗り物が出来ていて、周りの景色を見ながら簡単に奉幣殿まで行くことが出来ました。
久女は着物、草履で英彦山上宮(1189m)まで登ったそうなので、大変だったでしょうね~。
<スロープカー>

<奉幣殿>
奉幣殿のすぐ下の表参道左横に彼女の句碑はありました。苔むした自然石の台座の上の1,5m位の高さの御影石に、久女の流麗な字体で

      「谺して 山ほととぎす ほしいまま」

とあります。
後日ふれますが、この句は昭和5年、英彦山に登ってほととぎすの声を聞き、苦吟の末、東京日日新聞と大阪毎日新聞主催「日本新名勝俳句」の金賞を受けた句です。

どなたがデザインされたのかは判りませんが、石の形、大きさ、句の字と上下左右の余白のバランスが整って、各地にある多くの俳人の句碑とは一味違う素晴しい句碑だと改めて思いました。そして、ここの環境にしっくり溶け込んでいました。
<久女句碑>

久女の句碑の前に佇んでいると、鳥の鳴き声は時々聞こえていましたが、ほととぎすの鳴き声は聞こえませんでした。残念でしたね。

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俳人杉田久女(考) ~秀句が次々に~ (30)

2015年11月10日 | 俳人杉田久女(考)

前回の(29)で述べた様に、杉田久女は俳句の世界に戻ってきました。大正期の久女俳句を第1期とすれば、昭和に入ってからの俳句は第2期ということが出来ると思います。久女の中で何かが吹っ切れたのでしょう、次々に秀句が生まれました。その幾つかを見てみましょう。
      

広く人々に膾炙している
 
     「朝顔や 濁り初(そ)めたる 市の空」

久女にこの句を得しめたのは、工都小倉の栄光であるとの解釈を読んだことがありますが、同感です。夏の早朝の瑞々しい朝顔と、小倉の工場群が稼働しだし、どんよりと濁りはじめたずっと向うの空とを対比させて、当時の工都小倉の夏の朝の一瞬を鮮やかに切り取った名吟だと思います。

     
「露草や 飯吹く(いいふく)までの 門歩き」
        
俳句と家庭との相克に誰より苦しんだ久女ですが、この句からは久女の楽し気な様子が伝わって来ていい句ですね。彼女はこの句が好きだったらしく、家庭婦人と俳句という様なテーマのエッセーや講演で、この句をよく例として使ったようです。 


昭和2年に俳誌「天の川」に「瓢作り」というエッセーを載せていますが、下はその時の句でしょう。繭瓢とは子供が作った繭形の小ぶりの瓢箪をいうそうです。

     「露けさや うぶ毛生えたる 繭瓢」


昭和3(1928)年10月、虚子は九州旅行の折、小倉にも寄りました。虚子を迎えての句会は小倉の名刹、広寿山福聚禅寺で行われました。この時まだ小倉在住だった橋本多佳子も出席の予定でしたが、子供の急病で出席出来ませんでした。下の句はそのことを詠んだ句だろうと思います。なので欠けし君とは橋本多佳子のことですね。

     「花石蕗(つわ)の 今日の句会に 欠けし君」


合屋校長は夫、宇内の同僚で、後に県立みやこ高等女学校の校長を務め、久女一家とは家族ぐるみで親しかったようです。久女が没した時に宇内と共に病院で通夜をしたのは、この合屋校長でした。

     「童顔の 合屋校長 紀元節」


初めて下の句を見た時、なんて素敵な句かと思いました。何とも表現しがたい鯵の背の色をサファイヤ色と一言で表すなんてスゴイと。そしてお洒落で軽快なリズム感があり、久女の才気を感じる句です。

     「秋来ぬと サファイヤ色の 小鯵買ふ」


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俳人杉田久女(考) ~俳句に本格復帰~ (29)

2015年11月06日 | 俳人杉田久女(考)

昭和元(1926)年秋の福岡市箱崎での転地療養中に、久女は今後は俳句に専心しようと決めました。それは精神的な支えであり信仰の道標であった人々が、その少し前に彼女の周りから去ったのと関係があるのかもしれませんが、ひとたび俳句の世界を知ってしまっていた久女にとって、必然の成り行きだった様にも思えます。

どうにか病が癒えて昭和2年2月中旬に小倉に戻ってから、本格的な作句活動を再開し、教会活動では満たされなかった表現への欲求が再び動き出しました。昭和2(1927)年のこの時、彼女は37歳になっていました。


      「われにつきゐし サタン離れぬ 曼珠沙華」

上の句は大正14年作ですが、表現したいという思いが微かにでも心中に再び湧き始めたのは、この頃だったのでしょうか。

サタンという言葉は、彼女が聖書を勉強したことでここに留まったのでしょう。そういう意味でキリスト教に触れたことが、久女俳句の幅の広がりに幾らかでも影響を与えていると感じます。
サタンと曼珠沙華っていい取り合わせですね。

俳句への意欲を取り戻した久女は、『ホトトギス』や『天の川』へ積極的に投句を始め、後に代表作と言われる素晴しい句を次々に発表しました。

『天の川』とは福岡の吉岡禅寺洞率いる『ホトトギス』系の俳誌で、ここへの投句が多くなり、昭和4(1929)年4月からは、『天の川』の婦人俳句欄選者となり、又、翌年からは当時の朝鮮で発行されていた俳誌『かりたご』の婦人雑詠選者を務めています。

久女関係の研究書によると、それらの俳誌での久女の選句の様子からは、同朋を丁寧に導き、ともに成長しようとする姿が見て取れると解説しているものが多いようです。

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映画 『アクトレス ~女たちの舞台~』

2015年11月04日 | お出かけ

久しぶりに天神まで出て映画を見てきました。その映画は『アクトレス ~女たちの舞台~』。


フランスの女優ジュリエット・ピノシュ演じるマリアは、世界的な女優で彼女の世に出るきっかけの舞台は『マローヤのヘビ』。この舞台で彼女は若く美しい主人公シグリットを演じました。

若く有能な演出家から『マローヤのヘビ』のリメイク舞台の出演依頼が来ますが、今回のマリアの役は昔と同じ役ではなく、主人公に翻弄され自殺する中年上司の役でした。

今回、主役のシグリットを演じるのは、クロエ・グレース・モレッツ演じるハリウッドの若手女優ジョアンでした。

この役に戸惑うマリアにマネージャーのヴァレンティンは、才能ある演出家の作品なら出るべきだと勧めます。マリアもそれを受け入れ、この作品の作者であった人の山荘で、ヴァレンティンと共に台詞の稽古をするシーンがあり、そのシーンの演技は、なかなか味があるものでした。

マリアはこの役を演じることの苦しさというか葛藤を胸に秘めながら台詞の練習をヴァレンティン相手にし、ヴァレンティンはそれを理解しながらも、率直な考えをマリアに言ったりする場面には、マリアの孤独感がうきぼりになり、この映画の隠れた見せ場ではと感じます。

パンフレットによると、この映画の原題は「シルス・マリア」だそうです。シルス・マリアは地名で、それはスイスの高級山岳リゾート地で知られるサン・モリッツからバスで20分程のところにある村(町?)なのだそうです。

そこにある4つの湖が神秘的で、マローヤ峠に雲海がゆったりと流れるさまは「マローヤのヘビ」といわれているそうで、それ自体がマリアが出演する舞台の題名になっています。そして亡くなったこの舞台の作者の山荘も、このシルス・マリアにあるのです。

映画ではすばらしい音楽と共に美しいシルスマリアの雲海が映し出され、その雲海はおそらく時の流れを象徴しているのでしょうが、私はその息をのむような美しさに、ただただ引き込まれて見ていました。

もう一つ、主役のシグリットを演じることになっている、
ハリウッドの若手女優ジョアン役(クロエ・グレース・モレッツ)の台詞の小憎らしいこと!(笑)。マリアの年齢をはるかに超えた私としては、ひょっとしてこの若いジョアン役に嫉妬したのかもしれません(^-^)

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