ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

青春のコリア

2010年03月03日 | 旅の空の下
最初に韓国を旅行したのは、23才、まだ学生だった。
下関から関釜フェリーに乗り、釜山に上陸した。
当時韓国は民主化にはほど遠く、
クーデターで政権を取った大統領の朴正煕(パク・チョンヒ)は、
軍事独裁政治を敷き、先頃亡くなった金大中を日本のホテルから拉致した黒幕でもあった。

そんな状況だったので、夜12時以降は外出禁止の戒厳令が敷かれていて、
それでも泊まった安宿の親爺が、11時過ぎに
「ミドリマチに行こう。」と誘いに来た。
今から行ったんじゃ、絶対戒厳令に引っかかるじゃないかと反論しても、
「OK、OK」と聞かない。
なるほど、戒厳令下でもタクシーは走っていた。

3日ほど釜山に滞在し、列車で慶州に向かった。
慶州の安宿は、韓ドラ時代劇の部屋と全く一緒で、
観音開きの障子戸を開けると、3畳ほどのオンドル部屋があって、隅っこに布団がたたんである。
もちろん鍵などかかるはずもない。

この宿の親爺と、隣の薄汚い安食堂の親爺はマッカリが好きで、
私に奢るという名目で夕方になると一緒に飲んだ。
奢り奢られで滞在した3晩ともマッカリが夕食代わりだった。
ここ慶州では、初めて食べたビビンバの辛さに呆れ、
同じものを平然と食っている子どもになお呆れた。

慶州から再び列車に乗り、ソウルに入った。
さすがにソウルは当時でも大都会で、駅近くの安宿にチェックインした。
この宿の息子が出てきて、英語で話しかけた割には全く英語を解せず、
結局、「Can you speak English?」という英語だけが彼のボキャブラリーだったという、
いささかびびった私には、「馬鹿にしてんのか」と、笑うに笑えない話だった。

南山にはまだロープウェイはなく、歩いて登った記憶がある。
広い道路に架かる陸橋を歩いていたら、
明らかにその筋のお姉さんと思われる女性から声をかけられ、
どう対応していいか分からず、無言で通り過ぎた。

宿の、例の息子は息子で、夜になると部屋をノックして、
女性を世話するがどうだ、みたいなことをハングルで言ってくる。
言葉は分からないが、内容は何となく分かるものなのだ、この手の話は。
「で、どうしたか」ですって。
さあ、記憶にも記録にもないから、何とも。

当時は、韓国旅行というのは、女性からは一種の軽蔑の目で見られていて、
というのが、日本からの男どものツアー客の目的が、
いわゆるキーセン(妓生)パーティーという買春ツアーが主だったからである。
私のような個人旅行者はまだ希な存在で、
キーセンツアーの客と一緒にされるのは非常に心外だった。

ソウルでは4泊ほどした後、釜山まで戻り、再び関釜フェリーで下関まで帰った。
帰りの船室(大部屋)の中で、日本人男性ツアー客が大声で話している。
キーセンパーティーの、ほぼ自慢話だ。

そんな中、
私は、釜山で私を出汁にミドリマチにしけ込もうとした宿の親爺や、
飲み仲間になった慶州の日本語を操る宿の親爺と、飲んべえの食堂の親爺。
英語で話しかけて私をびびらせた宿の青年。
南山の途中で声をかけてきた儚げな女性。
そういう人たちを思い出しながら、また必ず韓国に来ようと密かに誓いを立てていた。

今では、ソウルの明洞などは、地図なしでも歩けるくらいになった。
それでも、昔日本が韓国の人たちにしたことを、
キーセンツアーで多くの日本の男たちが来たことを、
いつも心の片隅に置いておかねばならないと思っている。

今ではすっかり、黄昏のコリアになってしまったが、
せめて年1回は、青春の日を蘇らせるために、
ビビンバの辛さを味わいに来よう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界の車窓から

2010年03月01日 | 旅の空の下
昨夜、久しぶりに中国列車大紀行のDVDを見た。
関口知宏が片道36,000㎞の列車の旅をするというものだ。
NHKで放送され、DVDになったものを、
東京にいる娘が、父の日のプレゼントということでくれたもので、
春編と秋編それぞれ4枚セットになっている。

今年の夏は、ずいぶん前から行ってみたかった、雲南省の麗江という町に行こうと思っている。
数年前、高倉健主演の映画、「単騎千里を走る」の舞台となったところでもある。
麗江の郊外に、束河村というところがあり、ここは映画の中の「長街宴」の舞台になったという。
先日テレビで、雲南省の元陽県の村で行われる長街宴の模様を放送していたが、
映画の長街宴もこれと同じだったのだろうか。

麗江は、雲南省の省都昆明からバスで8時間ほどのところで、
まず日本から上海に入り、そこから列車で43時間かけて昆明に着く。
その日のうちに飛行機で飛ぶか、再び寝台列車で麗江まで行くか、
それとも昆明に1泊して翌早朝バスで行くか、思案のしどころである。

北京に入って、そこから38時間ほど掛けて昆明まで列車で行くという方法もある。
何故こんなに列車にこだわるかというと、中国列車大紀行の影響が大である。
世界のいろんな国で列車に乗ったので、中国でも是非にという思いもある。

韓国の釜山からソウルまでのセマウル号。
タイのバンコクからシンガポールまでの乗り継ぎながらの国際列車。
タイでは、バンコクからチェンマイやウボンラチャタニーなど数回の寝台列車の旅。
ベトナムのサイゴン駅からハノイまでの統一列車。
今までの最長のシベリア鉄道。
インドのムンバイから乗った窓から熱風の入る列車。
タンザニアで不安に駆られながら乗ったサバンナを走る列車。
モロッコのカサブランカらフェズまでの2階建て列車。
スペインは、マドリッドとバルセロナ間のAVEという新幹線や、
バルセロナからグラナダまでの豪華寝台列車。
ペルーでは、最近洪水で甚大な被害の出たマチュピチュへの観光列車。

それぞれの国で、それぞれの土地で、
車窓からの風景はそれぞれの景色や息づかいを見せる。
しかし、様々な車窓からの景色を見ながら、私はいつも同じ感慨を持つ。
「ああ、ここにも人が暮らしている。」と。

ビルが林立する都会の中にも、
人影まばらな草原や田園の風景の中にも、
人は変わらず毎日の営みをしている。
その姿は、どこの国でも同じで、
その風景を見る度に私は故郷の阿蘇を思い出すのだ。

私は、もしかしたら、そのことを確認したくて旅に駆り立てられるのかも知れない。
地球という空間の中でも、
時代という時空の中でも、
人は変わらず毎日の営みをしていくものだということを確認するために。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白夜のシベリア鉄道

2009年09月10日 | 旅の空の下
ロシア首相のプーチンが、
シベリアのイルクーツクにあるバイカル湖で、潜水艇に乗った写真が最近ニュースに出た。
プーチンといえば、マッチョを誇示し、強い男というイメージをこよなく大事にする人間だ。
ご存知のように、悪名高きKGB出身で、政治家になってからの発言もまた、非常に強権的だ。
国家というは、自分にとっての国家が、すなわち国家である。

こういったタイプの政治家に、虐げられている庶民の感覚を理解して欲しいと望むべくもなく、
それでも、ロシアという国には、ソビエト連邦時代から、独裁者的な指導者が多い。
プーチンの大統領時代の支持率は高く、
ロシア国民は、結局はこういう指導者を望んでいるのかと思わずにはいられない。

プーチンは、エリツィンの庇護でトップに掛け上がったが、
その前のゴルバチョフ政権の時、私は友人2人とシベリアを旅した。
バイカル湖畔には1泊し、湖で捕れる魚を食べたこともあったので、
先のニュースでつい思い出してしまった。。

いまだソ連時代で、旅行に出る前に、「ソ連崩壊」という本を読んでいたのだが、
そこに出てくる、チェルノブイリ原発事故をご存知の方は多いだろう。
ちなみに、実際にソ連が崩壊したのは、1991年のクリスマスの日とされ、
チェルノブイリ原発事故から約5年後のこととなる。

シベリア鉄道の長い旅の間、時々停車する駅に降りてみるのが唯一の楽しみである。
車掌はみな女性で、社会主義の中、のんびりと仕事をしていた。
社会主義国家というのは、役人(車掌がそうかは知らないが)的な立場の人間が、
何故あんなに高圧的なのだろう。

地方の空港に行って、7,8時間も待合室で過ごしてみると分かるが、
スタッフは本当に仕事をしない。ずーっと駄弁っている。
仕事をしてもしなくても、給料に変わりはないのだろう。
それでいて、乗客に対しては高圧的なのだ。
本当に始末が悪い。

それでも鉄道の旅は楽しかった。
4人部屋の寝台列車は、夜になってもほとんど暗くならない、
いわゆる白夜に近い状態で走り、
外は草原か森林地帯で、時々菜園を備えた小さい家が車窓を通りすぎていく。

時には、廊下の窓から景色を眺めていると、
別のコンパートの乗客が、やはり廊下に出ていて、
5,6才の可愛いらしい女の子が恥ずかしげに、それでも興味津々とこちらを見る。

手招きしても恥ずかしがって近寄らないので、
ハーモニカで日本の歌を吹いていると、部屋から母親も出てきて、
2人でニコニコしながらこちらを見ていた。
同じ車両で数日一緒に過ごすと、言葉は通じなくても、それとなく仲良くなるのだ。

駅や空港の職員の高圧的な接客態度に比べると、
同じ立場の人々は、我々日本人と少しも変わらず、
これが普通の人々なんだということが分かり、
あの高圧的なもの言いをする人もまた、
職場を離れるときっとこの人たちと変わらないんだろう。

ロシア語とフランス語でしか表記のない食堂車のメニューだったため、
4コマ漫画を描いて目玉焼きを注文したりと、
いろんな思い出がシベリア鉄道の数日間の旅に詰まっている。
車内で描いた、1枚の絵を取り出してみた。
廊下の車窓から、一心不乱に外の風景を見ていた少年の横顔。
これもまた、シベリア鉄道の記憶である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛行機の揺れ

2009年03月24日 | 旅の空の下
昨年の世界一周旅行では、3ヶ月で20回ほど飛行機に乗った。
それだけ乗れば、結構揺れることもあったが、恐怖を覚えるほどのことはなかった。
しかし、先日のソウルから熊本に帰る便でのこと、
残すところあと20分ほどというところで、強烈な揺れが来た。

若干の上下の揺れならまだしも、左右の揺れが加わり、
乗客からは、「あーっ」とか「きゃあ」という声が出るほどだった。
今まで相当数飛行機に乗ってきたが、これほどの揺れは初めてだった。
揺れは実際には2分程度のものだったろうが、随分長く感じた。

最近エアポケットで急降下したニュースや、
昨日など、貨物機が成田で着陸失敗し、炎上した事故などがあり、
同日アメリカでは、小型機が墜落するなど、飛行機事故のニュースが絶えない。
さすがに、飛行機の旅をためらってしまう。

日本では桜の季節真っ盛り。
ここしばらくは、車で国内を放浪することにしようかと思っている。
寝袋を積んで、温泉を回りながら、土地々々の居酒屋で一杯やり、
適当なところに車を止めて寝れば、金もかからない。

考えてみれば、国内で行ったことがないところもたくさんある。
なんといっても日本語が通じる。
これは結構大事なことで、旅のストレスの大半は軽減されるのだ。
そうこうすればそのうちまた海外に行きたくなるだろう。

今回の飛行機の揺れにすっかりびびってしまって
こんなことを考える毎日です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8度目のソウル

2009年03月23日 | 旅の空の下
先日、どうしても断れない状況があって,ソウルに3泊4日で行ってきた。
今は熊本空港から行けるので随分楽になった。
おまけにツアーに乗っかっての旅行なので、何の心配もいらない。
3日目の午後は自由行動だったので、念願だった「JUMP」の公演を見に行ってきた。

今回は、前回のソウル行きから10ヶ月後という短いスパンにもかかわらず、
100ウォンが12,3円から7円まで下がっていて、非常に円高を感じた。
40,000ウォンの「JUMP」のチケットが、昨年はほぼ5,000円だったのに、今年は、2,800円で買えたのだ。
「JUMP」をこの値段で見られるというのは、、勿体ないくらいにコストパフォーマンスがいい。

今回のツアーには女性のエステが組み込まれていて、
それに付き合わされる極少数の男どもには、
あかすり、オイルマッサージ、それになんとキュウリパックがあった。
素っ裸の男どもが7,8人ベッドの上でむくつけき男にあかすりなどをやられている光景は、
何とも様にならないというか、滑稽というか、哀しいというか・・・。

「JUMP」の帰りに、近くのテリンチョという食堂で夕食をとったが、
この店はカルグクス(うどんのようなもの)が美味しいらしく、
20人くらいの日本人ツアー客が先客でいて、全員カルグクスを食べていた。
ポッサムというゆでた豚バラ肉を生の白菜に巻いて、コチジャンやタレをつけて食べる料理も美味い。
それにイカ入りのパジョン(チジミ)はふんわりとした焼き具合で、
今まで食べたパジョンとは一味違って、非常に美味だった。
ここは、インサドンにも近いので、個人旅行者にはお勧めしたい。
ただし、日本語はほとんど通じないのでそのつもりで。

最初に韓国に行ったのは、40年ほど前で、下関から関釜フェリーでの渡航だった。
釜山から慶州に行き、その後ソウルまで列車で行った。
当時は日本語を話す人々も多く、慶州の安宿では、
宿の主人や隣の食堂の親父と毎晩マッカリを飲んで盛り上がったものだ。

その後、友人5人とやはり同じコースを辿ってソウルまで行った。
それからは、ツアーで行くことが多くなり、面白さは半減していく。
数年前に、上さんを誘って、今の時期に「NANTA」公演を見に行った。
このときは、個人旅行だったので、それなりに楽しむことができた。

ソウル市内は、年々地下鉄が充実してくるので、個人で歩く分には大変便利な街だ。
宿もツインを取れば、一人あたり3千円くらいで泊まることができる。
地下鉄は基本的に1,000ウォンなので非常に安い。
1週間くらいかけて韓国を回るのもいいだろう。
外国人向けの鉄道の安いチケットもあるらしいし。
韓国は今のウォン安が続けば結構魅力的な旅先なのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする