ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

さよならビエンチャン

2008年09月07日 | 世界一周記2008
今日の午後ビエンチャンを去り、タイのノンカーイへ行く。
その後夕方の夜行寝台でバンコクに向かう。
4泊5日のビエンチャン滞在だった。
目覚しい発展(?)への驚きと、と出会えなかった寂しさと。
さまざまな思いを胸にこの町を去ることになる。

いろんな日本人の旅行者と出会った。
親が、バンコクは危ないらしいので、バンコクでなけりゃ行ってもいいと言われ、
素直にそれに従ってラオスに来た、まだまだ若い(青い)一人旅の青年。
JAICAの友人を訪ねて来たものの、電話の行き違いで、
すっかりしょ気ていた女性の一人旅。
ユーラシア大陸をバイクで横断し、シベリアでは何泊も野宿し、
アラブ圏に入るとき危険なのでバイクは始末して、今帰国の途中と言う早期退職の56歳一人旅。
4人組の若者は、GHを探し、聞いたら、一人20,000(約250円)キップ内でという。
PVOのパンが1個(ハーフで半額)16,000キップの国で、究極の安宿に泊まろうと粘る旅人。

いろんな旅人に出会うとき、彼は何を求めてここに居るのだろうと考える。
振り返れば、それは自分への問いでもある。
今ここに居る自分は、何をしたいのか、何を求めてここに居るのか。
友との2人の旅や、家族との旅行では考えることのほとんどない問いを、
一人であるが故に、じっくりと問いながら旅を続けていこうと思っている。

さて、両替したキップは、最近では町の両替屋でドルにも交換してくれるそうだが、
持ち出しても紙切れ同然、
計算したら少し余りそうなので、またマッサージに行った。
背中と足を中心に1時間ほど揉んでもらい、リフレッシュ。
お代は、35,000キップ。

美味しそうなもので、今回食べ損なったもの。
地鶏の焼き鳥。(鶏はそこら辺に放し飼いにしてあるので基本的にみな地鶏)
メコン川で取れる鯛に似た形の魚の塩焼き。
この2つは、どちらもそこら辺の屋台や食堂の店先で焼いている。
洒落たレストランにはないものだ。
ジャックフルーツとドランゴンフルーツのシェイク。
マンゴーシェイク(これは時期はずれだった)

すっかりはまったもの。
マンゴーヨーグルト(中で11,000キップ)。
底にマンゴーペーストが入っていて、そのうえにヨーグルト。
かき混ぜて食べると実に美味い。
PHO DUNGという店の牛肉入り麺。
麺の種類は3種。ふと麺、細麺(どちらも米麺)と、黄色麺(麦麺)。
上に乗せる牛肉は、牛肉の炊いたもの、牛レバーの炊いたもの、牛ミンチボールの炊いたもの、
後は、モヤシから香草まで、野菜がてんこ盛りで生で出てくる。
これを好きなだけ乗せて食べる。
栄養満点。スープの味もよし。

最後にPVOのフランスパンのサンドイッチ。
今日はテイクアウトして、列車の中のディナーだ。

さよならビエンチャン。
さよならラオス。
また来ます。だから、
See you again と。
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ちょっとディープな話題ラオス

2008年09月06日 | 世界一周記2008
今朝、ラオス在住で、ラオス人の奥さんがいるMさんとしばらく話した。
以前は、こちらでツアコンなどしていたが、自由に行動できないから、という理由で、
タウン誌の季刊誌を出したり、ARUKIKATAの広告取りの仕事を引き受けたり、ということをしているらしい。

私たちが最初にラオスを訪れたのは多分9年前。
「ずいぶん変わったでしょう」と聞かれた。
まさにそのとおりで、見違えるくらいですと答えた。

こちらの教員の給料は、約50$。
1週間ではない、一月の給料である。
公務員は大体同じくらいという事で、
これが企業の管理職とかなると、10倍の500$

たとえば、田舎の学校の先生になると、
大体田んぼは持っていて、半農で生活している状況も多いらしい。
20人先生がいて、今週は10人出勤し、来週は残りの10人が出勤という事もある。
出勤しない10人はですって、もちろん農作業をしているのです。

そうしないとなかなか生活できないそうで、
公務員に賄賂が多いのは仕方ないのかもしれないということでした。
生活のための賄賂と、ゴルフ三昧などの豪遊のための賄賂と、
日本とはかなり状況が違いますな。

ラオスはコーヒーがうまい。
少し苦味が強く、濃く入れることが多いので、ブラックで飲むより甘いほうがおいしい。
豆は国産だそうで、フランス統治下にあったため、フランス風の焙煎をするからだそうだ。
同じ状況で、ベトナムコーヒーは味が異なる。
非常にフレーバーな香りがベトナムコーヒーの特徴だが、
あれは焙煎のとき、バターを使ったり、バニラの香りをつけるかららしい。
ベトナムコーヒーも捨てがたい。

ルアンパバーンという北部の町があり、ここは世界遺産に指定されている。
ここにモン族の広場というところで、モン族の女性がみやげ物を売っている。
モン族は、中国雲南省から下ってきたらしく、中国ではミャオ族といわれている。
ラオス語ではミャオというのはゲリラという意味らしく、
それでこちらではモン族というようになったとか。

そんな話を聞きながら、ラオスの表っ面を撫でるだけで私のような旅行者は過ぎていくのです。

昨夜、マッサージに行ってきました。
30分で、20,000キップ。日本円換算で、約250円。
安いでしょう。ところがどっこい、こちらの金銭感覚に慣れると、
万という単位が非常に高い気がして、すっかりケチになるのです。
絶品のフランスパンのサンドイッチと、ラオコーヒー(練乳入り)で、18,000キップ(約2百円)。
ネットが1時間、6,000キップ(約75円)。
ビールは大瓶で、8,000キップ。

昨夜、XAIYOカフェという、前回来たときも寄った、ちょっとしゃれたレストランで、
ビアラオを頼んだら、「大きいのか、それとも小さいのか」と聞くので、
もちろん大きいのだと答えたら、1リットルのピッチャーで生ビールが来た。
ボトルと思っていたので、こりゃこりゃと思ったが、
かわいいお姉さんのお酌つきなので、喜んで飲んでしまった。
これに、揚げ春巻きと、豚肉のリブBBQで計、59,000キップ。
円換算すれば、贅沢というほどでもないが、
先生の給料1月分の10分の1強を一食で費やしたのだから、
相当な贅沢なのです。

今日は少し辛抱します。
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旅行人

2008年09月05日 | 世界一周記2008
ビエンチャンではよく日本人旅行者に会う。
昨日朝、タラートサオ(市場)でも見てみようと、ブラブラ歩いていたら、
アメリカ大使館の前で向こうから歩いてくる青年がいたので、
声をかけたら、やはり日本人だった。
初めてのラオスということで、色々聞かれたのでしばらく話し、
私の宿の名前を告げて、よかったら食事でも一緒にということで別れた。
彼とは、昼偶然に道端で出会い、ARUKIKATAに載っているらしい麺屋に私を連れて行ってくれた。
あのガイドブックの情報は時々当てにならないこともあるが、
その店は、現地の人で満杯で、入れ替わり立ち代りの状況。
こりゃ、美味いに決まってるな、ということで、
1杯13000キップ(約150円)をいただく。
確かに美味い。お勧めである。
ただ店の名前は分からないが、ARUKIKATAに載っているはずだ。

今朝は、ちょっとキップが足りなさそうなので、EXCHANGEに行ったところ、
その前で、日本人の青年と、女性が話している。
声をかけると、昨日バンコクからバスで来て、今ビエンチャンに着いたという。
青年は、今からGHを探してチェックインすると言い、
女性のほうは、電話するところを知らないかという。
街中で電話することはほぼ不可能に近い。
私の宿に連れて行き、そこのフロントで電話してくれるよう頼んだら、OKだった。
もちろん料金は払う。5000キップである。携帯相手だとこちらでも料金は高い。
電話相手は、こちらのJAICA事務所に勤めている友人だそうで、
今いるホテルに迎えの車を送るから待っていろ、ということで話が通じたみたいだった。
私は、そこまで確かめて、再び朝食をとりに外出した。
ところが、1時間半ほどたってホテルに帰ってみると、まだ彼女がいる。
事情を聞くと、迎えの車が来ないし、電話もその後通じないので困っているらしい。
行きがかり上、ほうっておくわけにもいかず、
これから行くカンボジアの情報などを話していたら、相手からホテルに電話が入り、
どうやら運転手が場所を間違えたらしく、5分ほどで迎えの車が来た。
で、ホテルの前で「さよなら」。

出会いはいろんなところにある。
それもほとんど私から声をかけているからで、
黙っていれば、何事もなくすれ違うだけの関係だ。
しかし、出会って話した旅行人のほとんどは名前を知らない。
お互い、そこだけの出会いと思っているせいか、名乗らずに別れる場合がほとんどだ。
欧米人の場合は、大体最初に名前を紹介しあうのだが、
日本人の特徴だろうか。

今いるGHのロビーで、フランス人に声をかけられた。
自分の息子が今奈良にいるとのこと。
日本人を見て、つい話しかけたくなったのだろう。
京都は奈良から近いだろうとか、他愛もないことを話して別れた。
彼も旅行人。
フランス人にとっては、ラオスはいいところだろう。
パンはおいしいし、ちょっとしたレストランにはフランス語のメニューもある。
日本語のメニューはないのかね。

これから先、西に向かうにつれ、日本人の旅行人と出会うことは稀になっていくだろう。
寂しいことだが仕方ない。
そうなればもう少し英語に磨きがかかるかもしれない。
この年ではほとんど期待できないが・・・。
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変わっちまったビエンチャン

2008年09月04日 | 世界一周記2008
3日にビエンチャンに着いた。
2日にプノンペンからバンコクに飛行機で帰り、
そのまま夜行寝台列車で国境の町、ノンカーイに着いた。
ノンカーイからダイレクトバスで、ビエンチャン入りをするのだが、
そのトクトクでシェアした女性と話していたら、なんと熊本に1年ほどいたということになって、
そこからはすっかり日本語の会話になった。
彼女は、ノンカーイに1~2泊してビエンチャンに向かうという。
私はバスターミナルで降りて、彼女と再会できればいいねといって別れた。
なんと、世界も狭いもんである。

ビエンチャンのバスターミナルで降りて、懐かしい道のりでナンプ(噴水)に向かう。
なんという様変わりだろう。
すっかり洗練された町並みになっている。
道路はきれいになり、歩道だってある。
道を間違えそうになってしまった位の変貌だった。

夕方、チェックインしたGHからすぐの、ナンプカフェに行った。
今回は、そこの美人お上と、あの当時まだ小さかった姉妹に会うのが目的のひとつだった。
だが、なんとなく違う。
店はほとんどあの当時のままだが、店員はもちろん変わっているが、
オーナーらしき夫婦がまったく違うのだ。
やはり代替わりをして、違うオーナーになたのだろうと想像するにとどまったが、
9年という時代の流れを感じる一こまだった。

当時近くにあったPVOという、有名なフランスパンのサンドイッチ(カオティパテ)屋は、
メコン川沿いに移転しており、
そこにも行ってみたが、お上さんはすでに店にはいなかった。
やはりここも代替わりしているようだ。
昔PVOがあったところは、同じような店が出ていて、サンドイッチがメインの店のようだ。

メコン川沿いには、以前小さな屋台がたくさん出ていたのだが、
それもほとんど姿を消し、しゃれた風な店になっている。
これが発展なのかと、しみじみと時代の流れをかみしめている。
ノスタルジーはあくまでもノスタルジーに過ぎない。
ベトナムのホイアンを10年ぶりに訪ねたとき、
あまりの変貌に驚き、失望したが、それはあくまでも個人のものなのだ。
私のノスタルジーのために、彼の国の人が昔の姿を保つ謂れはないのだ。

ラオスもまた、さらに変貌を遂げ、
「これで首都?」と、われわれを呆れさせた当事の面影は、やがて影も形もなくなるだろう。
それは分かっているのだが、
あの当時の人に、誰一人出会えないことには、やはり寂しさは隠せない。
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カンボジア考 -2-

2008年09月02日 | 世界一周記2008
ブログの更新が頻繁にできております。
その第一の理由が、暇だということ。
第二の理由は、カンボジアのネット環境が意外にいいこと。
スピードは遅いです。特に夕方など、イライラしますが、
ともかく繋がっていて、かつ日本語が使用できるということ。

さて、カンボジアのゲストハウス(GH)についてご紹介を。
プノンペンでは、ナイスGHに通算4泊しました。
1泊10$で、コストパフォーマンスはかなりいいです。
シェムリではタケオGHで、やはり1泊10$(朝食、無料洗濯つき)で4泊。
ある程度年配の日本人の感覚から言うと、ナイスGHに軍杯が上がります。
その最大の理由は、清潔であることでしょう。
それに毎日ベッドメーキングをしてくれます。
たとえ、朝食がついてなくても、私はそちらをとるタイプです。

カンボジアでは危険性をよく言われますが、
人々は基本的にはそれほど悪くありません、というより、結構穏やかな気質です。
ただ、発展途上国にありがちですが、かなりの貧困層があったり、
ともかく金を稼がなくてはという、金銭至上主義な部分はあります。
そこから犯罪が発生することは十分考えられることですから、
夜遅く、暗い路地を歩くなどの行為は、女性はもとより男でも当然慎むべきです。
そうすれば、楽しく過ごすことはできます。

キャピトルツアーというのがプノンペンにあります。
ベトナムで言う、シンカフェツアーのようなもので、
ここはバスも何台も所有していて、各地と結んでいます。
たとえば、プノンペンーシェムリアップ間は、1日5往復出ています。
このツアー会社は、キャピトルGHの1階にあって、
シティーツアーや、キリングフィールドのツアーも手がけています。
当然、バックパッカーが各地から来て、
併用されているレストランには常に各国からの旅行者がいます。

昨日、そのレストランで一人のんびりとビールを飲んでいたところ、
男1人女2人の一見日本人風の旅行者の1人(女性)が声をかけてきました。
その第一声が「Can you speak English ?」で、
最初は、こいつ日本人のくせに俺をからかっているなと、思ったのですが、
よく聞くとシンガポールから来たそうで、今日泊まるところを探している、とのこと。
で、私が泊まっているところの話を聞きたい様子で、仕方なく、宿に連れて行って聞いてみたが、
あいにく満室だということで、とても困った風でありました。
じゃあ、近くにキャピトル3GHがあるので、ということで連れて行き、
後は自分たちで判断してくれと言って分かれました。
かように、さまざまな国の旅行者の集まるところがキャピトルツアー(兼レストラン)です。
個人旅行者は、とりあえず最初にここを目指せば、間違いありません。

さて、このキャピトルバス、シェムリから帰るとき、GHでのピックアップの時間が遅れて、
そのワゴン車がバスターミナルに着いたのは、定刻15分過ぎ。
しかし、なんとそのワゴン車で行った我々4人をバスは待っていたのです。
もちろんチケットは前日に買っているので、その4人が来ていないことはバス側にも分かっていて、
また途中でワゴン車の運ちゃんが頻繁に電話連絡もしていて、
それで待ってくれたのでしょうが、これはなかなか侮れないゾ、と思ったものです。
心配性の私は、すでにバスは出ているのではないかと疑ったのですが、
いやいや、すでに乗り込んで待っていた人たちには申し訳ないが、
本当によかったのです。

さて、今度はどこの旅の空からご報告できるのか。
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