ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

タイ・ラオス2009 -6- 半端じゃないインフレ?

2009年07月17日 | タイ・ラオス2009
早朝5時に起きて、宿の小路を大通りに出たところで托鉢を待つ。
5:30鮮やかなオレンジの袈裟をまとった僧侶の一団が托鉢に来る。
歩道には、お布施をする人々が座り、カオニャオやお菓子を準備する。
なんと、すぐそばに、カオニャオ屋さんがあって、大繁盛だ。


  ↑ 托鉢の風景
 
GHは朝食付きで、これアメリカンブレックファストっていうの?
宿泊棟の前の庭にセッティングされたテーブルで、
2人の女性と、1人の若者に給仕されながら、
私とNさんからは、その3人がこちらを見ている状況と向かい合わせで、


  ↑ 若者は新米らしく、2人の女性からいいように使われていた。

一から十まで見られているようで、食べにくいことこの上ない。
彼らからすれば、飲み物がなくなったら即座に補充しようという、
サービス精神溢れてこちらを見ているのだが。

朝食後、メコンのボートトリップのためのボートを捕まえに行くが、
これが吹っ掛ける。
7年前は、同じ航路で10$だったのが、50$と言う。
どんなに粘っても、40$から下げやしない。
仕方なく諦める。

宿に帰って、フロントで相談すると、チャーターしてくれるという。
値段は、やはり40$で、これが相場というところか。
仕方ない、諦めてお願いする。
9:30頃船着き場に船がやってくるが、先ほど交渉した船とは雲泥の差で立派だ。
大きいし、きれいである。


  ↑ ボートとガイドしてくれたGHの青年。

さらに、この相談に乗ってくれた宿の青年が、
サービスでガイド代わりに同乗してくれるという。
こちらの40$の方がかなりお得だった。

パークウの洞窟やラオラオの村を訪ね、
ラオラオや土産を買い、船着き場に帰ったのはもう1時を過ぎていた。
かってのモン族の広場近くの屋台で、
フランスパンのサンドイッチと、シェイク、果物を買って宿に帰る。


   ↑ パークウの洞窟

   ↑ ラオラオの村で、通りがかったアイスキャンデー屋から買って食べる。

2階の部屋の前のテーブルで昼食。
Nさんの部屋のエアコンも効いていないようだという。
早速フロントに行き、調べてもらうと、やはり駄目なようで、
我々同様、部屋を交換する。

それやこれやで3時くらいになったので、部屋に帰り、夕方まで自由行動に。
5時過ぎて、ナイトマーケットで買い物したり、
昨晩の隣のレストランで夕食を摂ったり、
まったりとルアンパバーンの夜を過ごす。


 ↑ ルアンパバーン2晩目の夕食

それにしても観光客が多いし、ナイトマーケットの土産物屋は半端な数じゃない。
7年前のモン族の広場の比ではない。
あの頃、のんびりと売り物の刺繍をしていたおばあちゃんや、
折り紙や風船にまとわりついていた子供のいる風景はなく、
ただ売るだけの雰囲気には失望を感じざるを得なかった。

今回は、宿もそうだが、特にいろんな乗り物の値段が上がっていて、
世界遺産のこの町を訪れる観光客の増加と共に、
観光客の利用するもののインフレが目立った。
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タイ・ラオス2009 -5- 7年ぶりのルアンパバーン

2009年07月17日 | タイ・ラオス2009
チェンマイを夕方の便でルアンパバーンに飛ぶ。
午前中は暇、ということで郊外のドイステープに観光。
私と上さんは一度来たことがあるが、Nさん夫婦は初めてということで、
ソンテウを交渉して、小雨けぶる中をドイステープへ。


   ↑ ドイステープ。寺への階段。

午前中に観光を終え、帰宿。
チェックアウトしたあと、荷物をホテルに預けて、昼食に。
チェンマイプラザ・ホテル前の食堂で麺を食べる。
その後しばしホテルのロビーで休憩し、
2時前に、先のソンテウの運ちゃんが、空港までの迎えに来る。

ラオス航空のプロペラ機は、メーホーソン行きのタイ航空のものより一回り小さい。
定員、60名くらいか。
かって、ラオス航空の飛行機にはできるだけ乗らないようにという、
外務省の危険情報が出ていた。
飛行機に関する危険情報は非常に希で、それだけ危ない機材だったのだろう。
これは、数年前に機材を一新したことで既に撤回されている。


  ↑ ラオス航空の機材。ジェット機は保有していないらしい。

約1時間のフライトで、これも結構安定していた。
ルアンパバーン空港は相変わらずのローカルで、
外に出るとタクシーカウンターがあり、そこで市内までのタクシーが7万キップ(約900円)。
ラオスの物価に比べればかなり高い。

ニューダラハット・ビラというGHに予約してあったので、
タクシーはそこまで行き、チェックイン。
まだ新しいGHで、その近辺はGHだらけだった。
7年の間に、こうも変わるのか、
かって、10年ぶりに訪ねたベトナムのホイアンを思い出し、
いくぶん暗澹として気分になる。

チェックインが既に5時になっていたので、荷物を整理し、夕食に出る。
既に、メインストリートは車の通行止め、ナイトマーケットの店が出ている。
7年前に来たときの写真を持って、店々の売り子の顔を確認していく。
おお、いたいた。間違いなく写真の子だ。


  ↑ 2002年7月に撮った写真
  ↓ 2009年6月(今回)撮った写真。

  ↑ 7年前ののんびりしたマーケットの雰囲気はなく、私は少し落ち込んでしまった。

写真を見せて話しかけると、間違いない。
当時13才で、モン族の広場で土産物売りの手伝いをしていた子だ。
折り紙の鶴の折り方を一番熱心に聞いていた子で、
持って行った写真を懐かしそうに見る。
写真を全部その子に預けて、写っている人に渡してもらうように頼んだ。

なお先に進んだとき、もの凄いスコールに遭い、店の軒下で2時間近く雨宿り。
私だけ目の前のネット屋でメールをチェックしている間に、
3人でレストランを見つけてきて、そこで夕食。


  ↑  なかなか面白いお兄ちゃんで、片言の日本語を褒められて嬉しそうだった。

ラオスの料理は、そのほとんどが日本人の口に合うと言ってよい。
それに1年ぶりのビアラオはこれまた至福の味。
雨も上がって、満ち足りた気分でナイトバザールの中、宿に帰る。

部屋のエアコンがどうも効いていない。
フロントに言って部屋を変えてもらう。
おお、こちらは快適快適。
では、Nさん、お休みなさい。
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