ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

振り返れば・・・

2015年06月06日 | 日記(?)
昨日5日、かって職場が一緒でお世話になり、
時々ご夫婦一緒に旅行したり、年に数回会食をする先輩のご母堂の葬儀に行ってきた。

ご母堂は今年100才のお祝いをされたばかりで、
それでもお亡くなりになる前日に先輩の奥様と元気に話をされていたそうである。
それが、突然のご逝去ということで、家族の皆さんもずいぶん戸惑われたようであった。

葬儀に参列して、プロジェクターに映される生前のご母堂の写真を見ながら、
私は自分の母親のことを思い出していた。

明治の最後の年に生まれた母は、多分苦労ばかりの人生だったと思う。
私はそんな母の苦労に一片の思いも遣ることなく、気ままな学生時代を送り、
仕事に就いてからは、それでも一緒に住んで、30年を共に過ごした。

その30年の間に孫が生まれ、大きくなって結婚するまで母は生きていた。
94才で他界するまで、母にとって何が幸せだったのか、
残念ながら、私には確かなことは分からない。

私の妻子と一緒に住むことで、姑という立場を頑なに貫こうとしたこともあり、
それは、妻や私それに自分自身をもずいぶん苦しめたのではないかという気もする。
明治に生を受け、自分の長男の嫁としての苦労を、私の嫁にも当然のこととして求めたのではないか。
そういう生き方しかできなかった母を、私はその葬儀の席で悲しく思いだしていた。

自分は、最後まで母に孝行することはなかったのではないか、
母にとっての幸せは何かということに思い遣ることもなく、
30年一緒に暮らしたけれど、ただそれだけではなかったかと。

葬儀から帰って、私は仏壇の前に座り、ただただ自分の不孝を母にわびた。
6月5日は母の命日で、これも何かの導きだったのかもしれない。

振り返り見れば、私は大いなる親不孝者であった。
親に孝行するというのがどういうことなのかも考えたことのない不孝者であった。

そんな私だが、自分は幸せ者だと思う。
私をこの世に出してくれた両親に感謝したい。
それをもって両親には孝行しているということで許してもらえるだろうか。
虫のいい話だが、我が子や孫の幸せが、私たち夫婦への一番の親孝行と思う故に。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする