ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
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ア○○ノマスク その3

2020年05月18日 | 日記(?)
まさかこの話題で、第3弾まで行くとは思いもよらなかった。
先日、熊本日日新聞に、ア○さんが、政府配布のマスクについて、
「この政策があったから、今日のマスク販売価格が値下がりした。一定の成果はあった。」
というような発言があったらしい。

この発言に、ネットでは「荒唐無稽」などの反応があったということも書いてあった。
言い得て妙。
専門家の意見としては、中国等の国で需要が少なくなったのと、
供給源が増えて供給過多で値が下がっただけで、マスクの配布とは関係ないということらしい。

そりゃあそうだろう。
日本国内でマスクが届いているのは10%にもなるまい。
届いていないものをもって、一定の成果云々と言われても、まさに荒唐無稽、笑い話にもなりゃしない。
今後届いたときは、小中学生がいる家庭では、学校再開の折に、給食用マスクで使用することを勧めます。
夏休みまでに間に合えばの話だが。

相変わらず自分の発言や行為に拘泥して非を認めないのはいかにもで、
やはり、この人はずいぶん甘やかされて育ったようだ。
政治家の一家に育ったのなら、親は帝王学の一端でも教育してこなかったのか。
世襲政治家の限界と劣化が垣間見えて、この国の現状に暗澹たる思いを抱く。

コロナ禍が始まる前までは、テレビで日本の人や物、その技術等を礼賛する番組が目白押しだった。
そんな番組を見た多くの人は、自分の国を、少なからず心地よく、かつ自慢に思うこともあっただろう。
しかし、コロナ禍という未曾有災難の中で、日本の政治というものの本質があぶり出され、
自分が住んでいる国の現実を突きつけられて、ただ愕然とする人もまた、いたのではないだろうか。
「俺の住んでいる国はこんなに酷かったのか!」と。

もとより個人的には、責任=無責任という風に新解釈(解釈を変えるのはこの人の得意技)した人がトップであることを容認していたことは一瞬たりともない。
しかしながら、ここまでとは。

火事場泥棒のように国会審議を進めた検察庁法改正案は、今国会での成立を見送るという情勢だが、
いつかまた、自分や近しいもののために、再提出するだろう。
批判の矛先も、そのうち下火になるだろうと高を括っているし、既にそういう状況を何度も学習しているから。

マスク騒動についてはこれで終としよう。
何故か、書くたびに虚しい気分が心を占めている割合が大きくなっていくようで、どうにもやるせない。


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