Potential of aromatherapy

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最期の時間

2010年05月24日 | 雑記
昔、銀座でナンバーワンのホステスさんだった女性がいました。
ミス銀座などとも言われて、「お姫様」状態で過ごしたそうです。
電通にパトロンもいて、美しく楽しい時代がありました。

 (電通といえば、多くの著名人たちがそこから出世しています)

でも、紳士録にまで載った男性に見初められて結婚し、3人の子供にも恵まれました。
プール付の豪邸でしたが、6人の小姑がいたそうです。
その小姑にこきつかわれて、子供が大きくなってやっと家をでました。
子供たちは一流の幼稚園に入園し、大学へと。

家をでてからは別の県でスナックを経営していたそうです。
そこに毎週通いつめた男性に根負けして、結婚はしなかったようですが
店をたたんで一緒に生活を始めました。

二人で羽振りのいい生活を送りすぎて、お金もなくなり
生活保護を受けることになってしまいました。

癌が進行し、ターミナルの状態になり、いろんなことが自分でできなくなるにつれ
男性は罵るようになってしまい、家で生活するのが困難となり
私の病棟に入院されました。
うつ病になり、話していることもわけがわからなくなり、一緒に暮らしている男性を
何度も何度も呼びながら過ごしていました。

でも、病院に来ることはほとんどありませんでした。

 「明後日くるって、言ってくれた。良かった、嬉しい、愛してるのよ。」と

にっこり笑って楽しみにしていましたが、会う前に意識がなくなりました。
意識がなくなってから、5日間過ごしましたが、天に召されました。
意識がなくなると「会ってもしょうがないから」と、病院には来ませんでした。
でも、その前に和服は持ってきてくれていました。

その和服姿で見送る事になりました。
大きなダイヤモンドを指にはめて、闘病生活に終止符をうったのでした。
意識のあるうちに会いたかったでしょう。
二人でどんな人生だったのか、もっとお話を聞きたかったです。
そして、おいてきた子供たちを自慢していたこともあったのですが
連絡が途絶えていたようです。

最期は一人、私たちがそばで見守るだけでした。
化粧をしてあげると喜ぶ顔が、若い頃の美しい笑顔になっていました。

病棟は人生の縮図のようです。