Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

今日は神田で

2005年11月21日 | 身辺雑記
所用が有りまして、なんだかんだで、神田です。

緊張しましたが無事に終わったので、お参りに来ました。

神田と言えば日本三大祭の神田明神です。
とは言いながら神田に来たのは初めてです。

隨神門

立派な門をくぐって境内へ入ると

左に石造りの大国様


えびす様


正面に社殿

商売繁盛を願ってお詣り。

社殿の横には銭形平次の碑

銭形平次は野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公です。
平次の住居は神田明神下の元の台所町ということになっている。
石造りの寛永通宝の銭形の中に平次の碑、その右に「親分、て~へんだ、て~へんだ!」の八五郎、通称「がらっ八」の小さな碑もあった。

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刺激されて

2005年11月19日 | 身辺雑記
このブログに刺激されて、私も七つ集めることに成功した。(ホントはコツコツ手作業)

炬燵の上に飾って置いたら、帰宅した息子に大受けだった。

「四星球はオラんのだからな!」息子を威嚇しつつ、皮をむいてパクリ!

し、し、しまった。願い事をし忘れた(泣)

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スーパーなかや相模原店 明日は恵比須講

2005年11月19日 | 情報日記(スーパー他)
相模原市当麻 887-4
電話 042-777-1311
営業時間 10:00~20:00

久し振りに覗いてみましたら、鮮魚コーナーの鯛の売場に「明日は恵比須講です」と云うPOPがついていた。
はて?恵比須講って何でしょうか?

帰宅後調べてみました。
恵比須は豊作の神であり、毎年1月20日と10月20日(いずれも旧暦)に恵比須講という行事を行って、1月には豊作祈願、10月には収穫感謝をします。
秋の恵比須講では、恵比須にその年の新米の飯をはじめ、御馳走を供える風景がよく見られます。
生の魚などを供える所も多く、これは豊漁の神であることの名残と考えられます。また、恵比須と一緒に大黒(恵比須と同じく福徳を授ける神とされる)を祀る風景が、恵比須講では一般的に見られます。
と云うような事らしい。

都会で育った私しゃ、伝統行事に疎くっていかんな。
実家のおばあちゃん(母)に恵比須講の事を聴いたら「田舎に居たときにはどこの家でも遣ってたけど、こっちに出て来てからはやらなかったからね~」なんてことで、伝統行事を子孫に伝えなかったのはおまえか。
まあ、戦後は生きるのが精一杯で、ご馳走を作る余裕なんか無かったんでしょうな。
さて、この恵比須講、地方によって遣り方が違うのかな。
恵比須講についての情報をお待ちしています。コメント、TB(トラックバック)、メール等お願いします。
因みに私しゃ、現役時代に恵比須講を扱ったPOPを見た記憶が御座いません。

神奈川のスーパーマーケット
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三和番田店 11月15日開店

2005年11月19日 | 情報日記(スーパー他)
相模原市上溝2180-2
電話 042-763-1300
営業時間 10:00~22:00
2005年11月15日開店  地図

三和が物流センターを北里大学病院の通りに新しく造り、出店を加速するらしいが1000平米以下の店舗の出店状況が解りません。
昨日メールで教えて貰ったので、出掛けてきました。

場所はJR相模線番田駅から上溝方面へ250m程先のローソンを右折するとクリエイトSDの向側に有りました。

店内の主通路は青果から始まる一般的なレイアウトで最終コーナーに、小さなベーカリーが無理矢理押し込まれてました。

グロサリーのレイアウトが変です、柱も無いのにやたらにでかいエンド、幅3m以上あるでしょう。
両面のゴンドラケースじゃないですね、背伸びして中を覗くと片面のケースで周りを囲んだ、何も無いスペースがあるだけです。
店内を見回して、ピンときたんで店員さんに聴いてみました。
「お酒は何処?」そしてら案の定、「まだ置けないんですよ」ってことでした。

そんなことで、店内をうろついていると何か視線を感じました。
その視線の先には、某メーカーさんのマネキンさんがこっちをジッと見つめているではないですか。
「やあ、暫くです」
しばし、情報交換などをしてお邪魔にならないように退散してきました。

競合店

マルエツ上溝店 (直線距離 450m)
ダイエー上溝店 (直線距離 1.1km)
つるかめランド星が丘店(直線距離 1.4km)
スーパーアルプス陽光台店(直線距離 1.4km)
グルメシティ光が丘店(直線距離 1.6km)
グルメシティ横山店(直線距離 1.6km)
オーケー相模原店(直線距離 1.7km)
ダイヤスーパー (直線距離 1.7km)

三和物流センター(東京生命研修センター跡)地図
神奈川のスーパーマーケット
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エイヴィ茅ヶ崎店 開店

2005年11月15日 | 情報日記(スーパー他)
茅ヶ崎市矢畑620-1
電話 0467-86-7833
営業時間 10:00~19:00
2005年11月15日開店  地図

ショッピングモールフレスポ茅ヶ崎内に開店しました。

エイヴィらしいゆったりした主通路、食材提供を主張するような低価格の生鮮品、惣菜や弁当などは品揃え程度、酒コーナーは免許が間に合わなかったのか、他の商品でゴンドラを埋めることなどはせず、潔く空のケースのままで早く酒免許を交付せよと訴えているかのようでした。

競合店

ジャスコ茅ヶ崎店(直線距離 500m)
つるかめ茅ヶ崎店(直線距離 600m)
イトーヨーカドー茅ヶ崎店(直線距離 700m)
富士シティオ鶴嶺店(直線距離 700m)
クラウン海岸店(直線距離 1km)
たまや幸町店(直線距離 1km)

神奈川のスーパーマーケット
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3週間ぶり

2005年11月14日 | トレーニング日記
暫くトレーニングを怠けていたんで、ちと、くたびれた。
始めにバイクを漕ぐんだけど、これが強度を最高にして遣ると以前の半分の時間で警告ブザーが鳴り出した。
心拍数が上がり過ぎたんですが、いつも年齢を10才若く誤魔化してセットしてます。こんなとこで誤魔化してもしょうもないんだが、実年齢でやると苦しくなる前にブザーが鳴っちゃうんだよね。
強度を1段階落として、再スタート。
またしても、警告ブザー。
更に、落として再々スタート。
ってなことで、いつもの半分の強度まで落ちて仕舞いました(涙)

軽いエアロとストレッチで終了。
やはり、遣り過ぎもどうかと思うんですが、3週間は・・・、反省。

身体が痛い。

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夢千代日記

2005年11月13日 | 映画
今日も海老名映画祭でした。

広島で胎内被爆し、白血病で余命いくばくもない芸者のもっと生きたいという願いと、彼女と殺人犯の愛を山陰の温泉町を舞台に描く。脚本早坂暁、監督浦山桐郎、1985年。

あらすじ
山陰の雪深い温泉町、湯村。芸者置屋「はる家」の夢千代(吉永小百合)こと永井左千子は広島で被爆していた。「はる家」には、夢千代の面倒を子供の頃から見てくれている渡辺タマエ(風見章子)、気のいい菊奴(樹木希林)、スキー指導員・名村(渡辺裕之)に恋し自殺未遂を起こす紅(田中好子)、好きな木浦(前田吟)のため、彼の妻の替わりに子を宿す兎(名取裕子)、癌で三ヵ月の命だという老画伯・山科東窓(浜村純)に、束の間の命の灯をともす小夢(斉藤絵里)たちがいる。神戸の大学病院で「あと半年の命」と知らされた夢千代は、帰りの汽車の窓から祈るように両手を合わせて谷底へ落ちて行く女性を見た。同乗していた旅役者の一人、宗方勝(北大路欣也)もそれを見ていたが、彼の姿は消えてしまう。捜査の結果、その女性の駆け落ちの相手、石田が逮捕された。彼の子を身篭った女が邪魔になったのだろうという事だったが、夢千代には自殺としか思えなかった。翌日、旅芝居好きの菊奴の案内で春川一座を尋ねた夢千代は、宗方に本当のことを教えてほしいと嘆願するが、宗方は「見ていません」と冷く答えるのだった。夢千代はタマエから、死んで行くしかない特攻隊員との愛のかたみに母が女手一つで自分を産み落としたことを聞かされ、一度だけ出来た子供を堕したことを悔いた。ある夜、夢千代は春川一座へ出かけ、熱を出して倒れてしまう。そして、宗方に背おわれて「はる家」に戻ってきた。春川一座のチビ玉三郎は、母である座長(小川真由)や菊奴の前で宗方の夢千代に対する気持を言いあてる。その時、宗方は菊奴から夢千代の命が長くないことを知らされた。証人として宗方の身元を調べていた藤森刑事(加藤武)は、彼が十五年前に父親を殺して指名手配中であることをつきとめ、夢千代に警告するのだった。宗方は一座から姿を消した。彼を隠岐行のフェリーで見かけたという紅の言葉を頼りに、夢千代は隠岐島へ向った。そして、宗方に愛を告白し、二人は結ばれた。宗方を逃がしたい夢千代の反対を押し切り、逮捕されるのを覚悟で宗方は衰弱した夢千代を「はる家」へ連れ帰る。皆の見守るなか、夢千代は息を引きとり、宗方は藤森によって逮捕された。

原爆の後遺症と云う重いテーマと夢千代が生・死・愛を見つめて生きようとする姿に感動しました。

20年前でも吉永小百合は綺麗でした。
私しゃなんで当時この映画を観て置かなかったんだろう、仕事バカだったんだよな、楽しみを後に取って置いたって考える事にしましょうか。

長崎ぶらぶら節

2005年11月12日 | 映画
今、海老名プレミアム映画祭ってのを遣っているんだが、招待券が当たったので観に行って来た。
観客は年配者が多いですよ、私なんかは一番若いんじゃないかな。
全席指定でしたが、ほぼ満員、遅れて行ったので前から二列目になってしまった。

なかにし礼氏の直木賞授賞小説「長崎ぶらぶら節」を深町幸男監督、吉永小百合主演で東映が2000年映画化。
出演
吉永小百合
渡哲也
高島礼子
原田知世
藤村志保
いしだあゆみ
尾上紫

あらすじ
日本三大花街のひとつと言われた丸山の遊郭に売られておよそ40年、義侠心の強い愛八は、特に苦労をしている若い人、子供に対しては身銭を切って援助した。街角に立つ辻占や花売りの子供に、お座敷のお花代をそのままくれてやるようなことも、売れっ子ではあったが、蓄えはなかった。いわゆる、宵越しの銭を持たない、江戸っ子気質を持つ芸者であった。ある日、彼女は五島町の大店・万屋の十二代目で、長崎でも指折りの風俗研究の学者・古賀と運命的な出会いを果たす。学問を極める為なら、財産を使い果たしても構わないと考えている古賀。そんな古賀の頼みを受けて、愛八は長崎に伝わる歌を探し記録する旅に同行する。旅は約二年間に渡り、やがてふたりの間に特別な感情が芽生えるが、決して肌を重ねることはなかった。旅の終わり、ふたりは長崎ぶらぶら節という歌に出会う。それは、愛八にとって想い出の歌であった。彼女が遊郭に売られる時、女衒の男が歌ってくれた歌だったのだ。歳月が過ぎ、年号は昭和へ移った。古賀と会わなくなっていた愛八は、少女の頃から可愛がっているお雪に芸を仕込んでいた。ところが、そのお雪が肺病にかかってしまう。詩人・西條八十に出会ったことが縁で、長崎ぶらぶら節をレコードに吹き込む。その印税を全てお雪の治療費に当てる愛八。今や、お雪は愛八の人生そのものとなっていた。お陰でお雪は快復し、お披露目の日を迎える。だが、その席に披露目の資金を提供してくれた古賀が招待されていることを知った愛八は、決して顔を出そうとしなかった。彼女は、古賀への想いを一通の手紙に認め、事ある毎にお百度を踏んでいた身代わり天神の境内で倒れる。

感想は・・・、女は強いな、吉永小百合はやっぱり良いですね。

シロノワール ミニサイズ

2005年11月10日 | 食堂・レストラン
今日は所用で出掛けて、コメダで朝食。
ふわふわのパンの上に乗ってる白いやつはソフトクリームです。

ダイエット中なので悩んだ末に、↑は諦めてコーヒーの値段でバタートーストとゆで卵が付いてくるモーニングセットにした。

ダイエット中じゃなかったら、普通サイズとモーニングセットだな。

ALWEYS三丁目の夕日

2005年11月07日 | 映画
ALWEYS三丁目の夕日 公式HP
夕焼けの詩―三丁目の夕日 (3)

西岸良平

小学館

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西岸良平氏原作の漫画「夕焼けの詩 三丁目の夕日」をビッグコミックオリジナルで読んで居たのはもう随分前になるな。
ほのぼのとしたタッチと人情味溢れる登場人物や動物達(猫とか犬)にいい知れない郷愁を感じていたのも、私が一平君達と同年代を生きただけではないだろうと思うんです。
私も一平君と同じように寝小便垂れだったしな(笑)

いつ頃から読まなくなったんだろう、今も連載中だとは知らなかった。
実写となって映画化されると知ったときから、観てみたいと思っていた。

映画は短編の漫画から抜け出して、夢と希望、優しさ溢れる映画になっていました。
それも私の想像を超えた素晴らしさ、心を揺さぶられ途中で何度も涙をぬぐいました。
周りの誰もが貧乏だったけど、みんなが懸命に生きていた時代、私達子供は親たちがひたすら働く姿を目にしながら、夢中になって遊んでいたあの時代。
遊んでたんかいって、言われても、遊ぶことが子供の仕事だった時代なのだ。
今の子供達は・・・、等とはここでは言うまい。

古行淳之介役の須賀健太君は以前から良い演技をするとは思っていましたが、今回じっと耐えて言葉に出さず、身体で表現する演技が素晴らしかった。
鈴木一平役の小清水一揮君の演技も自然で実に良かった。
他の出演者の演技も素晴らしく、そして映像はまさしくそこに昭和三十年代が蘇っていました。

あの映像はどうやって作ったのでしょうか、路面電車に東京の町並み、当時の自動車に町を行く人々、街頭のポスター、不思議な気持ちで昭和三十年代の東京を観ていました。
小道具で気に入ったのが宅間先生(三浦友和)の夢のシーンに出て来た、部屋の隅に置かれた人形、あの人形はお腹を押すと鳴るんだよね。
家でも姉が持っていた人形が部屋の隅に置かれていたっけ。

息子と二人で観に行ったんだけど、映画館を出た後、喫茶店で二人で映画について話し合ったのは初めてのことでしたね。お父さんが生きた時代を少しは理解してくれたでしょうか。
懐かしさとあの時代の想い出に、★★★★☆(5★満点で星4.5です)

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いなげや大和高座渋谷店

2005年11月06日 | 情報日記(スーパー他)

大和市福田1910-1
電話 046-201-0178
営業時間 10:00 ~ 22:45
2005年11月 3日開店
小田急江ノ島線高座渋谷駅より徒歩5分

高座渋谷駅の西側で、大和市渋谷(南部地区)土地区画整理事業ってのを遣ってるって前に書いたんですがそこです。

駅西側は東側に大型店が出店後急速に衰退し、数年前にそうてつローゼンが撤退したショッピングセンター周辺は閉鎖した店舗が目立ちます。
西口の開発でこの辺りにも活気が戻ると良いんですがね。
現在この駅には乗降口が東側にしかないのですが、来年の秋頃から駅西口設置工事が始まるらしい。
区画整理が終わった所では、アパートや事業所などの建設が進んでいました。

写真の手前に、少し写っているのは来年の2月に開店予定の、ビーバートザン高座渋谷店です。

店内は、ドラッグストアのウェルパークを併設、300坪位の売場。
最終コーナーのベーカリー横に休憩所もあります。
ちょっとトップバリュな品揃えも有りのお店です。

競合店

富士シティオ高座店(直線距離 450m)
ジャスコ大和店(直線距離 500m)
オーケー大和店(直線距離 1km)

神奈川のスーパーマーケット
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損料屋喜八郎始末控え

2005年11月05日 | 読書
損料屋喜八郎始末控え

山本一力

文藝春秋

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損料屋ってのは、今で云うリース業ってことですな。
表向きの商売は損料屋だが、実はこの男、札差の米屋先代に頼まれて二代目を陰から支える凄腕の経営コンサルタント&私設探偵社みたいなことを遣っている。

札差ってえのは、武士の俸給である米を武士に代わって売りさばく役割だったが、次第に先付けの切米(きりまい)を担保に金を貸すようになり、武士にとっての金融機関のようになっていた。

武士の俸給は地方知行(じかたちぎょう)と云う、土地(給領地)から年貢を徴収する権利をもらう者(上級武士)と切米・扶持米(ふちまい)を貰う者(下級武士)が居た。
例えば百石の地方取でも百石全て自分のものになるわけではなく、所謂、四公六民とう場合は四十石が自分の取り分で、六十石は領地の農民のものと云うことだ。
下級武士で二十石五人扶持と云ったら一年間に切米二十石を3回に分けて支給され、扶持米は1人1日5合(0.5升)の割合で、毎月5人分支給された。

切米取りと呼ばれた彼らは、春夏冬のそのときがくると、御切米請取手形(おきりまいうけとりてがた)である札(ふだ)を支給される。切米取りはこの札の持ち主と云うことで札旦那とも呼ばれていた。

武士の中には手元不如意に陥り、一年先・二年先の切米を担保に札差から借金をするようになる者も増え、借金に応じようとしない札差に対して、借金の強談判役として蔵宿師(くらやどし)なる職業も登場してくる。

武士の窮乏を打開する策として、幕府は札差に対して武士への借金を棒引きにする棄捐令(きえんれい)と云う法律を発動する。
これもなんか最近大手企業の借金を棒引きにしたどっかの国で聴いたような話でありますな。

時代劇にはしばしば登場する札差ですが、こんなことになっていたとは、本書を通して当時の経済の様子が少しは理解できたようです。

それにしても喜八郎は仲々カッコイイですな。★★★★・(5★満点で星4です)

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タイトル部背景画像変更

2005年11月04日 | ブログ カスタマイズ
今日は、好天に恵まれまして小春日和の中、秋の画像を求めて気分転換のドライブに行って来ました。
やはり、紅葉が少し遅れているようです。あと一回ぐらい寒さが来ると紅葉の色も濃くなるんじゃないでしょうか。

さて、ここは何処でしょうか?解るかな。
     

タイトル部の背景画像を変更する場合はこちらを参考にして下さい

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