日本の辞典で「ケセラセラ」をひくと、「スペイン語由来」ということで、アクセントのないqueから始まる que será, será という妙なスペイン語が記載されています。それは「ケセラセラ」の歌から考えて What will be, will be(なるようになる)と同じでなければならない、だから what 同様 que は関係代名詞なのでアクセントがいらない、という根拠に基づいているようです《イコール説》。
日本の各辞典の見解については→People
一方、スペインにはケセラセラ ¿Qué será, será? というフレーズがあり、この qué は疑問詞です。 ところが、スペインのある映画関連サイト、El CRITICÓN に書かれている「知りすぎていた男」についての評論の中で、主題歌「ケセラセラ」のことを que será, será とアクセントのない que で記載しています。ひょっとして日本の辞典と同じように解釈しているスペイン人もいるのだろうか?…と、ずっと気になっていました。
映画の評論を書いた方が、もしかして1956年の映画公開当時の状況までご存知で、歌のタイトルがこのような綴りでスペインに到着したという事実に基づいているのかも? …つまり、Lo que será, será(なるようになる)というスペイン語を英語風に誤用した米製西語、que será, será がタイトルだったという裏づけがあるのかも!?
悩んだあげく、思い切って長々と事情を説明・問い合わせしてしまいましたが、その期待はハズレ。単に、あまりアクセントのことは気にしてなかったみたい。
>このフレーズの語源はスペイン語ですが、ことわざではありません。
>正しい綴りは "Qué será, será" でしょうね。
>最後の"será" はメロディーに合わせて単に繰り返しているだけです。
彼らもまた、「スペイン語由来」って断定するわけですね。でも、これはあくまでも彼らの意見であり、決して「歌の作詞者がそう言った」というような事実があるわけではありません。色々微妙な問題なので、確認作業もあり、2~3度メールをやりとりしましたので、それをまとめてみます。ご丁寧な対応に感謝・感激です。Aloha Criticon :www.alohacriticon.com さま、ありがとうございました。
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はじめに、この歌全体の意味を個人的に分析してみますと、歌では(女の子が)自分の将来について一連の質問をなげかけています。一連の可能性を推測し「どうなるの?」とつぶやくのです。つまり、文の意味を理解するには、その部分だけ分析するのではなく、歌全体が言おうとしていること結び付けて考えた方が良いと思います。
この文は、2つの意味をもっています。
1)疑問(問いかけの要素):
将来に何が起きるのだろうと質問している歌なので、Qué は疑問詞でアクセントが有ります。
2)感情(裏に隠れた要素):
スペイン語ネイティブは少なくとも2つの付加された意味を強調します。主人公(の女の子)が立ち向かう将来の可能性の幅広さ。そして我々にはとうていわからない運命に対する、あきらめや甘受。だからこそ、なるようになる(what will be, will be)のだと教えるわけです。問いかけの要素がかすんでくるにつれ、裏に隠れたこれらの要素が重要な意味をもってきます。
歌における Qué será, será は、「将来に何が起こるかなんて、誰にもわからない」とか「色んなことが起こりうるけど、どうなるのか私にはわからない」と解釈できます。文法的に正しく言いかえるなら "Qué será, qué será" ですが、韻律の都合で "qué" を入れられなかったのでしょう。二番目の "será" が反復であるというのは、そういうことです。
個人的には、スペインにおける Qué será, será は慣用句のように頻繁に使われるものではないと思うし、この歌から切り離されて使われることはないのでは? ちなみにこの歌のシングルは "Que sera sera" という表記で世界に発売されたのだと思います。
最後に、もしこの文の意味が日本で考えられているように "what will be, will be" であるならば、本来は "Lo que será, será" と言うべきなので文法的におかしいですね。
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この下線の文節「もし~」には接続法が使われているので、かなり懐疑的です。私が説明した日本での歌の解釈 Que Sera Sera = What will be, will be 《イコール説》は、彼らには心外だったことでしょう。
このように、頂戴したご意見から考えても、日本のケセラセラとスペインのそれは違うもののようですが、はじめに歌ありき、つまりスペインのケセラセラも歌から始まったというのが私の推測です。
「今をときめくドリス・デイの歌にはおしゃれな欧州語の挿入が不可欠だったとみられるが、光栄なことに 隣の“おフランス語” ではなく我々のスペイン語 qué と será が選ばれたのだ!」という誇りと喜びとともに、この世界的な歌(?)ケセラセラは、スペインでもおおいに流行し、¿Qué será?(どうなるの?・なんだろう?) の será をわざわざ繰り返す歌のフレーズが広まったのではないでしょうか。
参考までに、ケセラセラの使用例を引用させていただきます(あるスペイン人のブログより)。
>Será el pulso de la vida? (生命の脈だろうか?)
>Será el aliento del amor? (愛の息吹だろうか?)
>Será la pasión por la vida? (人生への情熱だろうか?)
>Qué será, será??? (なんだろう?なんだろう?)
ちなみに、日本在住20年のペルー人(スペイン語ネイティブ)に、「ケセラセラ」と振ってみたところ、彼が歌いだしたのは「ケ・セラ♪」Qué Será (Pueblo Mío) の方でした。「ケセラセラ」の歌もご存知でしたし、日本のカラオケはもちろんペルーでも聞いたことがあるそうですが、「ケセラセラ」はイタリア語だと思っていたそうです。
日本には日本語版の、フランスにはフランス語版のケセラセラという歌があるのに対し、スペイン語版はないようです。あるのかもしれませんが、EL CRITICÓN の方もご存知ないそうです。
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