異例の残暑厳しい9月10日、東京駅近い三菱一号館美術館へ有楽町から向かっています
東京国際フォーラムから、9月オープンした直営店 Apple 丸の内 の前を通り
燦燦と照り返す通りを東京駅方向に進むと、赤レンガのレトロな建物がすぐ眼につきます
信号待ちで右に目を向けると、山手線の電車が通過中
今日は、マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン展に来ました
(画家・版画家・舞台芸術家・写真家にして天才デザイナー)
三菱一号館美術館は初めてなので、とても楽しみにしていました
なぜなら、有楽町寄りの昔の丸の内仲通りは、このような建物がたくさんありました(三菱地所所有)
当時なぜ壊すのか、経済成長時代の流れだったのでしょうか
手動式のEVや広い大理石の階段など日本にはない天然素材は素晴らしく豪華でした
※丸の内は、JR東京駅から皇居外苑の間に広がるエリア
三菱一号館美術館 美術館概要
2010年春、東京・丸の内に開館。JR東京駅徒歩5分。
19世紀後半から20世紀前半の近代美術を主題とする企画展を年3回開催。
赤煉瓦の建物は、三菱が1894年に建設した「三菱一号館」(ジョサイア・コンドル設計)を復元したもの。
コレクションは、建物と同時代の19世紀末西洋美術を中心に、
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック、オディロン・ルドン、フェリックス・ヴァロットン作品等を収蔵。
館内には、ミュージアムカフェ「Cafe1894」、ミュージアムショップ「Store1894」、丸の内の歴史体感スペース「歴史資料室」を併設。
館長は高橋明也。運営は三菱地所(株)。公式サイトより
ヒストリー
「三菱一号館」は、1894(明治27)年、開国間もない日本政府が招聘した英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計された
三菱が東京・丸の内に建設した初めての洋風事務所建築です。
全館に19世紀後半の英国で流行したクイーン・アン様式が用いられています。
当時は館内に三菱合資会社の銀行部が入っていたほか、階段でつながった三階建ての棟割の物件が事務所として貸し出されていました。
この建物は老朽化のために1968(昭和43)年に解体されましたが、40年あまりの時を経て、コンドルの原設計に則って同じ地によみがえりました。
今回の復元に際しては、明治期の設計図や解体時の実測図の精査に加え、各種文献、写真、保存部材などに関する詳細な調査が実施されました。
また、階段部の手すりの石材など、保存されていた部材を一部建物内部に再利用したほか、
意匠や部材だけではなく、 その製造方法や建築技術まで忠実に再現するなど、さまざまな実験的取り組みが行われています。
19世紀末に日本の近代化を象徴した三菱一号館は、2010(平成22)年春、三菱一号館美術館として生まれ変わりました。
三菱一号館美術館について <コチラ>
美術館館内もコマ割りで迷路のようでしたが歴史を感じました
ではでは遅くなりましたが、、、
マリアノ・フォルチュニ 展示会場へ
<みどころ>
マリアノ・フォルチュニ(1871-1949)はデザイナーだけではなく、画家、写真家、舞台芸術家
さらには企業経営者と、あらゆる顔を持ち、さまざまな分野で才能を発揮しました
特に服飾デザインの分野では
女性をコルセットから解放した革命的なドレスの一つです
「デルフォス」(繊細なプリーツを施した絹のドレス)を生み出しました
マリアノ・フォルチュニ 創作の源を訪ねて
出典:公式サイト( 作品とともに巡るフォルチュニの人生より)
撮影エリアより撮影
撮影エリアより
鑑賞している(右)の絵画は、フォルチュニの妻、「アンリエット」
1902年、アンリエットとパリで出会う
母と姉に反対され、1924年53歳で結婚
↓
3階から2階へと移動しながら会場を周りました
↓フォトは、2階より美術館入口のパティオ(中庭)
公式HP https://mimt.jp/
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