正式名称:松島青龍山瑞巖円福禅寺
(しょうとうせいりゅうざんずいがんえんぷくぜんじ)
松島にある国宝・瑞巌寺が、約10年に及ぶ「平成の大修理」を終えたことを、
(投稿順は遡っています)
先の熊野岳山頂小屋で出会った仙台在住の方から聞いていた
その時は、東日本大震災の被害の修理かと思っていたのだが、、
瑞巌寺は仙台藩祖の伊達政宗が1609年に建立
大修理は地盤沈下でゆがんだ建物、瓦や壁、建具の解体・修復
さらに耐震補強工事なども行われる大がかりなものでした
2008年11月に始り、本堂など計8棟の工事は順調に進んでいたが、、、
台所だった庫裏の壁にひびが入り、漆喰を塗り直して修繕
津波が押し寄せ、塩害で杉を伐採した参道も整備した
総門
総門を入り、拝観者は右側の瑞巌寺洞窟群へ進む
鎌倉~江戸時代に納骨や供養を目的として、壁面に掘られた洞窟群には息をのむ
この地域の大部分の地層は、第三紀層の凝灰岩、砂岩、礫岩などで人の手で掘りやすかったのか
壁面に卒塔婆が彫られた洞窟群
瑞巌寺洞窟群
元来、納骨や供養の為の施設で、造営は鎌倉時代に遡り、江戸時代まで続いた
松島は古来「奥州の高野」と呼ばれ、浄土往生を祈念する神聖な霊場であった
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(振り返って)
洞窟の前や内部には、無数の石仏、塔婆、五輪塔、戒名等無数が刻まれており
霊場独特の厳粛な雰囲気を今に伝えている
境内の他の場所よりも、何となく空気が張り詰めています
拝観入口、自動販売機で購入(大人700円/小・中学生400円 )、隣は窓口
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法身窟
たくさんの供養塔が納められている岩窟
法身窟は、北条時頼と開祖・法身禅師が出会ったといわれる場所です
ここから瑞巌寺の前身・円福寺が始まりました
御成門・中門
庫裡へ
庫裡
靴を脱ぎ、下駄箱に、
正面に高村光雲の観音菩薩像は見応えがあり、気品高く美しく素晴らしかった☆
庫裏から本堂につながる回廊はこれまで非公開だったが
常時拝観できるようになり、日本庭園も眺めることができます
(撮影:室内は禁止、外の庭園はOK)
本堂
左甚五郎作と伝えられる「葡萄と栗鼠(きねずみ)」
☟
明治の頃、島崎藤村が葡萄と栗鼠の木彫を観て
処女詩集「若菜集」に詩を載せたという
舟路も遠し瑞巌寺 冬 逍遥のこゝろなく
古き扉に身をよせて 飛騨の名匠の浮彫の
葡萄のかげにきて見れば 菩提の寺の冬の日に
刀 悲しみ鑿愁ふ ほられて薄き葡萄葉の
影にかくるゝ栗鼠よ 姿ばかりは隠すとも
かくすよしなし鑿の香は うしほにひゞく磯寺の
かねにこの日の暮るゝとも 夕闇かけてたゝずめば
こひしきやなぞ甚五郎
中庭
外に出ました
金木犀が満開で、よい香りを漂わせていた
標識の金銀木は残念ながら見えず・・・
宝物館へ参ります
企画展(館蔵品)を拝見することができました
洞水東初禅師展-没後350年を記念して コチラ
帰り、改めて鬼瓦を拝見
この鬼瓦は、五大堂でも確認しました
瑞巌寺
天長5年(828)、慈覚大師円仁によって開創された奥州随一の古刹で、延福寺と呼ばれていました
延福の寺号は天台宗の総本山、延暦寺に由来します
正元元年頃(1259)臨済宗に変わり寺名も円福寺へと改名されました
現在の建物は、慶長14年(1609)
伊達政宗公が桃山様式の粋をつくし、5年の歳月をかけて完成させたものです
建築にあたっては、諸国から名工130人を集めたほか、建材も熊野山中から取り寄せるなど
造営の縄張には政宗公自ら縄頭を執ったことからも政宗公が心血を注いだことが窺われ
奥州の覇者としての意気込みが伝わります
伊達家の菩提寺である瑞巌寺は、桃山時代の真髄を表している荘厳な建物です
特に唐戸や欄間、あるいは襖や床の間の豪華な絵画は
日本の自然美を代表する人工美の極致とされています
出典:シュープレスwebマガジン
本堂(方丈)
書院造りで入母屋造本瓦葺の本堂は、三方に広縁、落縁を廻らし
室中孔雀の間、仏間、上段の間、上々段の間など
10室の部屋で構成されております
正面の幅は38m、奥行き24.2mです
京都・根来の大工衆が技を競いました(国宝)
上段の間
藩主の部屋で別名御成りの間
黒塗框の豪壮な床の間・火頭窓・違い棚・武者隠(帳台構)を備えた書院です
上段の間は仙台城本丸大広間にも設けた施設で秀吉の聚楽第と併び称された
仙台城の豪華さを今に伝えています
欄間の彫刻
文王の間には「諫鼓の鶏」「鶴の巣籠り」、
礼の間は「菊に尾長鶏」「紅葉に鹿」
松の間は「牡丹に金鶏」、「牡丹に孔雀」等
吉祥のモチーフが写実的手法で彫刻されています
つづいて隣接する、「国重文御霊屋三慧殿 円通院」へ参ります
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