
15時~ボランティアによる
遺跡発掘のガイドツアーに参加しよう!
それまでの20分間に
血糖値を上げておこう!
と思ったのに…
喫茶・レストランは改装のため、休業中。
お菓子などの自動販売機もなく
大通りまで出て、見渡しても
コンビニもない…😩
諦めて、自動販売機で甘いコーヒーを買ったが
ベンチなど座れるところもなく
この円筒形の石に座って
甘い缶コーヒー飲んで一休み。
後ほどガイドさんの説明を聞いたところ
この円筒形の石は全て
柱跡が見つかった場所なのだと。
萱葺きの高床式の建物は
難波宮跡や難波宮下層遺跡よりも
さらに古く
5世紀に作られた倉庫だとのことで
「法円坂建物群」と名付けられた建物の1棟。
5世紀と言えば、
百舌鳥古墳群のある今の堺市で
仁徳天皇などが
政治を行っていた時代。
ガイドさんによると
「これは百舌鳥へ物資を届けるための
補給基地だったのでは」とのこと。
なるほど、納得できる。
15時、ガイドツアー開始、参加者は私1人。
歴史博物館のガラス張りの床下には
柱跡があり、見えるようになっている。
隣のNHKビルの1階の床や、外の通路にも
↑
このように赤褐色の円形タイルがある。
これは倉庫の柱跡が見つかった所で
上に写っている一周り小さい白色の円形タイルは
倉庫と道路の間に建てられていた
塀の柱跡が見つかった所なのだと。
↓
その柱跡がある位置は、現在の地図に示すと
この通りだそうだが
時代別に何層にもなっているようで
頭がついていかない…、難しい。
地下に入り歩き進むと、ビルの床下や道路の下の土には
柱跡が残されていて、柱があった所には
柱形の行灯が吊り下げられている。
幻想的でとても美しく
中でも最高の撮影スポットは、ここ。 ↓
地上に戻り、1人で解説してくださった
男性ボランティアさんを記念に撮らせてもらった。
でも、彼以外に、私の質問に彼が返答に困る度に
助け舟を出す人が3人くらいおられたので
ずいぶん贅沢な
ガイドツアーを体験させていただいたことになる。
予定以上に長時間、歴史博物館にいたため
最初の目的だった天六湯に
電気風呂に入りに行く時間が無くなってしまった。
生駒に帰り、買い物をしてから帰宅。
腰痛を抱えた体は
いっそう ヘロヘロ になってしまった。
明日こそは 電気風呂に入りに行くぞー!
と、決意を固めて、夕食作りに励んだ。
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この後、知ったことを簡単にまとめると
皇極(斉明)天皇は2度天皇となった女性皇族で
天智天皇・天武天皇の母。
1度目は夫の舒明天皇崩御後
皇極天皇として即位。
生前に弟に譲位し、弟は孝徳天皇として即位。
しかし、孝徳天皇は若くして崩御したため
斉明天皇として、2度目の皇位についた。
シャーマン的能力を持つ女帝で
民からの信頼が厚かったが
飛鳥に石の都作りを過度に進めた斉明天皇は
民に過重な負担を与え、信頼失墜。
その頃、鉄を輸出してくれる
朝鮮半島の友好国百済が
唐・新羅連合具によって
滅ぼされそうになった。
鉄を輸入できなくなったら
農具や武器を作れなくなるので、国力は弱る。
百済が滅亡してしまったら大変!
孝徳天皇 (斉明天皇の弟) の時iに決めた
難波遷都を進めた。
百済を守るための援軍を送るのに
飛鳥が都だと不便。
難波を都とする方が戦いやすいからかな?
百済に向かって進軍途中 661年
今の福岡県の朝倉で崩御
ほぼ同時に百済は滅亡
天智天皇が即位した。
難波を都として
天智・天武・持統天皇の時代が続いたが
持統天皇により藤原京に遷都された。
難波より藤原の方が、都合がいい理由は?
鉄はどのようにして手に入れたのかな?
色んな疑問が次々に浮かんでくる。
だから、歴史って面白い。
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