5/4(金) 竹野の民宿を出て、出石城跡へ。
玄武洞は若い時に行ったことがありパス。
原始河川に近い円山川の堤防の低さ!
津波や豪雨で氾濫すれば、ひとたまりもなさそう。
途中で海の駅なるところに入ったが
ほとんどが添加物入り商品で、
買ったのは高知の塩芋ケンピだけ(>_<)
出石城址から300mほどのところにある
大駐車場に車を入れ、
アンティークな店で買い物の下見をしながら進むと
↑
出石蕎麦の有名店の前には開店前から行列ができている。
絶滅する前の野生のコウノトリが、
最後まで棲息した出石ならではのオブジェ。
↓
辰鼓楼。明治に廃城となり、
三の丸大手門の石を垣を使って建てられた。
札幌時計台とともに、日本最古の時計台だが、
札幌と違って、この時計は近代的な電気時計。
これを過ぎたところから
城跡に入るのかと思ったら、
突然これが見えだした
↓
これは出石町役場の玄関だったと。
今は豊岡市役所出石支庁の敷地内なのだ。
ここを過ぎるとすぐに登城橋
石段の登り、櫓の横を通り、
左に曲がって城跡内を歩いていると、
有子山城跡というのがあるので、
行ってみることとし、歩きはじめると熊が出る?
時々大きな声を発しながら進んだが…、
すごい急坂、革靴では無理。
仮に登れたとしても、
怪我せずに降りられる自信はなく、
あと750mのところでリタイア。
稲荷神社の鳥居をくぐりぬけ下界に。
天守らしき跡はわからなかったが、
ここからでも出石の街が十二分に見渡せる。
お土産街を歩きながら、バッグ・乾物
リユース着物(千円!)などを購入。詳しくはこちら
出石名物蕎麦を食べようと歩いたが、
どこも長蛇の列。
やむなく、桂小五郎潜居跡を見に行くことに。
↑
この松の下に石碑がありそうなので、
「すみませ~ん、写真撮らせてくださ~い」と
行列に分け入り、パチリ。
禁門の変(蛤御門の変)の後、
但馬を転々と潜居、ここもその一つ。
荒物屋だったと書いてあるが、
甚助・直蔵の生家ではないようだ。
『花神』(司馬遼太郎)によると
城崎の温泉宿では、そこの娘さんが桂の子を
みごもったが流産し、桂の実子は残らなかった。
今はTという温泉宿になっているとある。
そこを訪れなかったことが悔やまれる。
復路は往路同様、朝来経由。
渋滞に遭うこともなく、楽だった。
玄武洞は若い時に行ったことがありパス。
原始河川に近い円山川の堤防の低さ!
津波や豪雨で氾濫すれば、ひとたまりもなさそう。
途中で海の駅なるところに入ったが
ほとんどが添加物入り商品で、
買ったのは高知の塩芋ケンピだけ(>_<)
出石城址から300mほどのところにある
大駐車場に車を入れ、
アンティークな店で買い物の下見をしながら進むと
↑
出石蕎麦の有名店の前には開店前から行列ができている。
絶滅する前の野生のコウノトリが、
最後まで棲息した出石ならではのオブジェ。
↓
辰鼓楼。明治に廃城となり、
三の丸大手門の石を垣を使って建てられた。
札幌時計台とともに、日本最古の時計台だが、
札幌と違って、この時計は近代的な電気時計。
これを過ぎたところから
城跡に入るのかと思ったら、
突然これが見えだした
↓
これは出石町役場の玄関だったと。
今は豊岡市役所出石支庁の敷地内なのだ。
ここを過ぎるとすぐに登城橋
石段の登り、櫓の横を通り、
左に曲がって城跡内を歩いていると、
有子山城跡というのがあるので、
行ってみることとし、歩きはじめると熊が出る?
時々大きな声を発しながら進んだが…、
すごい急坂、革靴では無理。
仮に登れたとしても、
怪我せずに降りられる自信はなく、
あと750mのところでリタイア。
稲荷神社の鳥居をくぐりぬけ下界に。
天守らしき跡はわからなかったが、
ここからでも出石の街が十二分に見渡せる。
お土産街を歩きながら、バッグ・乾物
リユース着物(千円!)などを購入。詳しくはこちら
出石名物蕎麦を食べようと歩いたが、
どこも長蛇の列。
やむなく、桂小五郎潜居跡を見に行くことに。
↑
この松の下に石碑がありそうなので、
「すみませ~ん、写真撮らせてくださ~い」と
行列に分け入り、パチリ。
禁門の変(蛤御門の変)の後、
但馬を転々と潜居、ここもその一つ。
荒物屋だったと書いてあるが、
甚助・直蔵の生家ではないようだ。
『花神』(司馬遼太郎)によると
城崎の温泉宿では、そこの娘さんが桂の子を
みごもったが流産し、桂の実子は残らなかった。
今はTという温泉宿になっているとある。
そこを訪れなかったことが悔やまれる。
復路は往路同様、朝来経由。
渋滞に遭うこともなく、楽だった。
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