魔女のひとりごと

★ 魔女になろう!

博物館 明治村

2021-10-30 | 博物館・美術館・建築など
高輪サロンでのメンテ“力”upセミナーが
成立せず、仕事がなくなった2日間

10/30(土)は犬山市にある 博物館 明治村に
31(日)は四日市に行くことにした。

名鉄名古屋⇒犬山
そこから岐阜バスで。

所要時間は1時間余りで、なかなか便利。



この立派な正門は
旧第八高等学校の正門だった。



このように、解説がある。

こんな建築物が解体・消滅されるなんて
そんなもったいないことを…

そんな心の集まりが、この明治村だとわかる。

入村料は2,000円



ちょっと高めと感じるかもしれないが



文化財の保存・活用に
使われることを思うと、高くはない。



村内循環バスの1日乗車券を買い



「ハイカラさん号」に乗り
解説を着ながら



北門近くの終点 帝国ホテル前に到着



帝国ホテルに入る前に



SL東京駅に。



途中、煙をはきながら走っている姿が
見えたのに、撮影失敗😥



停車している姿を撮ろうと向かったのに
駅舎の陰に隠れていて、撮れず😥

沿道の柱1本1本が芸術的で暖かい雰囲気。



写真も展示されていて
高輪サロンのすぐ近くを
SLが走っていた様子も描かれている。



高層ビルに取り囲まれている
今の景観とは大違い。

帝国ホテルに向かう途中
遠くまで一望でき、見晴らし良好。



ホテルの裏を通って
東側の入り口から入り
メインホールに向かうと

彫刻された大谷石の高い柱や
   ↓


スクラッチタイルで復原された
黄色すだれ煉瓦と
透しテラコッタ組み合わせた
透かし柱。

これほどまでに手が込んだ柱を作って
芸術性を高めたことに驚かされる。

これは2階のレストランから撮った写真。
重陽節供企画として、菊が飾られている。
       ↓


日比谷にあった、解体される前の帝国ホテル



この客室正面玄関の部分のみが移築された。



玄関を出てみると
市松模様の金箔ステンドグラスが
キラキラ輝いている。

旧玄関の写真
標半纏を着ているのはホテルマン?!  ↓


        ↑
玄関の正面に置かれている壺型の造形物は
        ↓

        ↑
大谷石で作られている、壺と水鉢。
これは解体され、日比谷から運ばれてきた。



こちらは今の(たぶん新たに作られた)壺と水鉢  ↑
        ↓


真正面から見たところ。 ↑

振り返ると金澤監獄などが広がっている。↓



左手前の高台には、塔のような建築物



それを見に進むと、手前に内閣文庫。



中には世界の建築物のミニチュアがいっぱい。



皇居正門石橋飾り電灯 ↓



塔に見えた建造物の前に着いて
見上げると「川崎銀行」と書かれている。↓


    ↑
玄関の扉が重々しい。

赤色の部分だけが移築されていて



中には金庫や、全国の銀行の写真。
どの銀行も建物は威厳のあり、豪華で重厚。



外階段が増設されていて
展望台となっている。

そこに上がって下界を見ると
広い池(入鹿池=いるかいけ)が光っている。



大明寺聖パウロ教会堂 ↓



明治になってキリスト教信仰が許可され
日本で最も早く建てられた教会。
長崎県から移築された。

私の眼は柱にくぎ付け👀‼️

間伐材のような細い木材を
束にして太い柱にしている!



長崎で見たキリスト教の教会で
こんな木造の教会は見なかったと思う。

そこから金澤監獄の門の前を通過。



中に入って見たいのはやまやまだが
網走監獄に入ってみたことがあるし
他に見たいところがいっぱいで、時間もないし…。

ちょうどそこにバスが来たので乗車。



窓から撮れるかぎり撮影。
聖ザビエル天主堂



これは京都の河原町三条にあって
1967年に解体、移築された。

私が京都に来るちょっと前まであったんや~。

ステンドグラスが美しいようだけど
それより見たいのは、病院や兵舎など。

その最寄り駅、無声堂前で下車。

13時~明治期のアンパンが
売られるとのこと。

20分前なので、コンビニで買って
持って来た枝豆などを食べながら
10分ほど待っていると
長い行列ができている👀‼️

慌てて最後尾に並んだところ
ギリギリ買えた。

私の後ろの人たちは替えず、気の毒。



油で揚げたような感じだが
アンドーナツとは違う。

でも、現代のアンパンとは大差ない
アンパンを食べてから
日本赤十字社中央病院病棟に。



登録有形文化財となっている建物は
多いようだが
この標識は他では目に入らなかった。↑

これは病院本館の破風に掲げられていた
鳳凰を浮き彫りにした彫刻の額
          ↓


中に入ると、5台のベッドが並んだ病室。



入り口のすぐ左横に器具陳列棚と
ベースンスタンド・ケッテルスタンド・採血台



棚の中には、ガラスの注射器
のう盆・ケッテル・薬瓶…

今は使われてはいないけど
私が働いていた時は
使っていたものばかり。

ということは、私の若いころは
明治時代から
変わっていなかったということ👀‼️
ショック😓

さらにショックだったのは
朝・昼・夜の患者給食😨



これって、我々が学生時代の給食より上等!

特に朝食
我々のはトレーの上に皿もなく

・食パン
・マーガリン(or ジャム)と
・果物が1個

これらが、コロンと乗っていただけ😩
床頭台も格調高い木製。

隣の部屋には
看護婦制服のワンピース。
今でも着られ気品があるデザイン。 ↓


 ↑
浮世絵風の絵は、白衣姿の看護婦

“おしん”のように
わずかばかりの大根飯しか食べられず
泥だらけになって
ボロを着て
口減らしに身売りされて…

そんな時代の少女にとっては
日赤の看護婦は
雲の上のエリートだったのだろう。

その隣の部屋には担架や
     ↓


負傷した兵士の処置・手術道具が。
     ↓


これは、旧日赤病院の写真。



外に出ると京都の市電



今は村内を走っているが
乗る暇がなかった。

そこから、歩兵第6聯隊兵舎に。
下士官の二人部屋 ↓



食事も陳列されている。

「えっ、こんな少ない量?」
と思えるくらいの量。



立派な軍服や銃もズラリ ↓



食うや食わずの暮らしをしていた
貧しい家の少年にとっては

美味しい食事をして
こんな立派な服を着ている軍人は
あこがれの的だったんだろう。

銃を並べてある台にデジカメを置き
(初めてカメラを置ける所があったので)
記念自撮り。浮かない顔 ↓



こんな場所でニッコリしていたら
ヘンやわな~。

外に出て、次は名古屋衛生戌病院に



この中には衛生博覧会に
展示された



寄生虫の生育過程の模型など
品々が展示されている。


          ↑
コロリ(コレラ)封じの まじない絵なども
          ↓


島津製作所で作られた国産第一号の
X線撮影装置



など、いろんな展示物を見て
建物を撮ることに
意識が向かなく児っていた。

建物の外観や内部の写真は
明治村のHPにたくさん載っているので
ぜひ、こちらからご覧ください。

もう足が痛くて歩きたくなくなり
金沢にあった
無声堂(第四高等学校武術道場)



これだけは見たくて入ったが


             ↑
一番見たかった稽古用具には近づけず…😥

賑やかな音楽が聞こえる
入鹿池の方に進むと

樋口一葉・滝廉太郎・夏目漱石・松井須磨子
に扮した
4人の若者が明治村の発展を願う
歌を歌って踊っている。



しばらく座って休んだ後
14:30のバスに乗り
往路と同じルードで
名古屋駅に帰った。

広くて見たいところがいっぱいで
アップダウンもあり、疲れた~。

あと2~3回は行かないとアカンわ~。

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