高輪サロンでのメンテ“力”upセミナーが
成立せず、仕事がなくなった2日間
10/30(土)は犬山市にある 博物館 明治村に
31(日)は四日市に行くことにした。
名鉄名古屋⇒犬山
そこから岐阜バスで。
所要時間は1時間余りで、なかなか便利。
この立派な正門は
旧第八高等学校の正門だった。
このように、解説がある。
こんな建築物が解体・消滅されるなんて
そんなもったいないことを…
そんな心の集まりが、この明治村だとわかる。
入村料は2,000円
ちょっと高めと感じるかもしれないが
文化財の保存・活用に
使われることを思うと、高くはない。
村内循環バスの1日乗車券を買い
「ハイカラさん号」に乗り
解説を着ながら
北門近くの終点 帝国ホテル前に到着
帝国ホテルに入る前に
SL東京駅に。
途中、煙をはきながら走っている姿が
見えたのに、撮影失敗😥
停車している姿を撮ろうと向かったのに
駅舎の陰に隠れていて、撮れず😥
沿道の柱1本1本が芸術的で暖かい雰囲気。
写真も展示されていて
高輪サロンのすぐ近くを
SLが走っていた様子も描かれている。
高層ビルに取り囲まれている
今の景観とは大違い。
帝国ホテルに向かう途中
遠くまで一望でき、見晴らし良好。
ホテルの裏を通って
東側の入り口から入り
メインホールに向かうと
彫刻された大谷石の高い柱や
↓
スクラッチタイルで復原された
黄色すだれ煉瓦と
透しテラコッタ組み合わせた
透かし柱。
これほどまでに手が込んだ柱を作って
芸術性を高めたことに驚かされる。
これは2階のレストランから撮った写真。
重陽節供企画として、菊が飾られている。
↓
日比谷にあった、解体される前の帝国ホテル
この客室正面玄関の部分のみが移築された。
玄関を出てみると
市松模様の金箔ステンドグラスが
キラキラ輝いている。
旧玄関の写真
標半纏を着ているのはホテルマン?! ↓
↑
玄関の正面に置かれている壺型の造形物は
↓
↑
大谷石で作られている、壺と水鉢。
これは解体され、日比谷から運ばれてきた。
こちらは今の(たぶん新たに作られた)壺と水鉢 ↑
↓
真正面から見たところ。 ↑
振り返ると金澤監獄などが広がっている。↓
左手前の高台には、塔のような建築物
それを見に進むと、手前に内閣文庫。
中には世界の建築物のミニチュアがいっぱい。
皇居正門石橋飾り電灯 ↓
塔に見えた建造物の前に着いて
見上げると「川崎銀行」と書かれている。↓
↑
玄関の扉が重々しい。
赤色の部分だけが移築されていて
中には金庫や、全国の銀行の写真。
どの銀行も建物は威厳のあり、豪華で重厚。
外階段が増設されていて
展望台となっている。
そこに上がって下界を見ると
広い池(入鹿池=いるかいけ)が光っている。
大明寺聖パウロ教会堂 ↓
明治になってキリスト教信仰が許可され
日本で最も早く建てられた教会。
長崎県から移築された。
私の眼は柱にくぎ付け👀‼️
間伐材のような細い木材を
束にして太い柱にしている!
長崎で見たキリスト教の教会で
こんな木造の教会は見なかったと思う。
そこから金澤監獄の門の前を通過。
中に入って見たいのはやまやまだが
網走監獄に入ってみたことがあるし
他に見たいところがいっぱいで、時間もないし…。
ちょうどそこにバスが来たので乗車。
窓から撮れるかぎり撮影。
聖ザビエル天主堂
これは京都の河原町三条にあって
1967年に解体、移築された。
私が京都に来るちょっと前まであったんや~。
ステンドグラスが美しいようだけど
それより見たいのは、病院や兵舎など。
その最寄り駅、無声堂前で下車。
13時~明治期のアンパンが
売られるとのこと。
20分前なので、コンビニで買って
持って来た枝豆などを食べながら
10分ほど待っていると
長い行列ができている👀‼️
慌てて最後尾に並んだところ
ギリギリ買えた。
私の後ろの人たちは替えず、気の毒。
油で揚げたような感じだが
アンドーナツとは違う。
でも、現代のアンパンとは大差ない
アンパンを食べてから
日本赤十字社中央病院病棟に。
登録有形文化財となっている建物は
多いようだが
この標識は他では目に入らなかった。↑
これは病院本館の破風に掲げられていた
鳳凰を浮き彫りにした彫刻の額
↓
中に入ると、5台のベッドが並んだ病室。
入り口のすぐ左横に器具陳列棚と
ベースンスタンド・ケッテルスタンド・採血台
棚の中には、ガラスの注射器
のう盆・ケッテル・薬瓶…
今は使われてはいないけど
私が働いていた時は
使っていたものばかり。
ということは、私の若いころは
明治時代から
変わっていなかったということ👀‼️
ショック😓
さらにショックだったのは
朝・昼・夜の患者給食😨
これって、我々が学生時代の給食より上等!
特に朝食
我々のはトレーの上に皿もなく
・食パン
・マーガリン(or ジャム)と
・果物が1個
これらが、コロンと乗っていただけ😩
床頭台も格調高い木製。
隣の部屋には
看護婦制服のワンピース。
今でも着られ気品があるデザイン。 ↓
↑
浮世絵風の絵は、白衣姿の看護婦
“おしん”のように
わずかばかりの大根飯しか食べられず
泥だらけになって
ボロを着て
口減らしに身売りされて…
そんな時代の少女にとっては
日赤の看護婦は
雲の上のエリートだったのだろう。
その隣の部屋には担架や
↓
負傷した兵士の処置・手術道具が。
↓
これは、旧日赤病院の写真。
外に出ると京都の市電
今は村内を走っているが
乗る暇がなかった。
そこから、歩兵第6聯隊兵舎に。
下士官の二人部屋 ↓
食事も陳列されている。
「えっ、こんな少ない量?」
と思えるくらいの量。
立派な軍服や銃もズラリ ↓
食うや食わずの暮らしをしていた
貧しい家の少年にとっては
美味しい食事をして
こんな立派な服を着ている軍人は
あこがれの的だったんだろう。
銃を並べてある台にデジカメを置き
(初めてカメラを置ける所があったので)
記念自撮り。浮かない顔 ↓
こんな場所でニッコリしていたら
ヘンやわな~。
外に出て、次は名古屋衛生戌病院に
この中には衛生博覧会に
展示された
寄生虫の生育過程の模型など
品々が展示されている。
↑
コロリ(コレラ)封じの まじない絵なども
↓
島津製作所で作られた国産第一号の
X線撮影装置
など、いろんな展示物を見て
建物を撮ることに
意識が向かなく児っていた。
建物の外観や内部の写真は
明治村のHPにたくさん載っているので
ぜひ、こちらからご覧ください。
もう足が痛くて歩きたくなくなり
金沢にあった
無声堂(第四高等学校武術道場)
これだけは見たくて入ったが
↑
一番見たかった稽古用具には近づけず…😥
賑やかな音楽が聞こえる
入鹿池の方に進むと
樋口一葉・滝廉太郎・夏目漱石・松井須磨子
に扮した
4人の若者が明治村の発展を願う
歌を歌って踊っている。
しばらく座って休んだ後
14:30のバスに乗り
往路と同じルードで
名古屋駅に帰った。
広くて見たいところがいっぱいで
アップダウンもあり、疲れた~。
あと2~3回は行かないとアカンわ~。
成立せず、仕事がなくなった2日間
10/30(土)は犬山市にある 博物館 明治村に
31(日)は四日市に行くことにした。
名鉄名古屋⇒犬山
そこから岐阜バスで。
所要時間は1時間余りで、なかなか便利。
この立派な正門は
旧第八高等学校の正門だった。
このように、解説がある。
こんな建築物が解体・消滅されるなんて
そんなもったいないことを…
そんな心の集まりが、この明治村だとわかる。
入村料は2,000円
ちょっと高めと感じるかもしれないが
文化財の保存・活用に
使われることを思うと、高くはない。
村内循環バスの1日乗車券を買い
「ハイカラさん号」に乗り
解説を着ながら
北門近くの終点 帝国ホテル前に到着
帝国ホテルに入る前に
SL東京駅に。
途中、煙をはきながら走っている姿が
見えたのに、撮影失敗😥
停車している姿を撮ろうと向かったのに
駅舎の陰に隠れていて、撮れず😥
沿道の柱1本1本が芸術的で暖かい雰囲気。
写真も展示されていて
高輪サロンのすぐ近くを
SLが走っていた様子も描かれている。
高層ビルに取り囲まれている
今の景観とは大違い。
帝国ホテルに向かう途中
遠くまで一望でき、見晴らし良好。
ホテルの裏を通って
東側の入り口から入り
メインホールに向かうと
彫刻された大谷石の高い柱や
↓
スクラッチタイルで復原された
黄色すだれ煉瓦と
透しテラコッタ組み合わせた
透かし柱。
これほどまでに手が込んだ柱を作って
芸術性を高めたことに驚かされる。
これは2階のレストランから撮った写真。
重陽節供企画として、菊が飾られている。
↓
日比谷にあった、解体される前の帝国ホテル
この客室正面玄関の部分のみが移築された。
玄関を出てみると
市松模様の金箔ステンドグラスが
キラキラ輝いている。
旧玄関の写真
標半纏を着ているのはホテルマン?! ↓
↑
玄関の正面に置かれている壺型の造形物は
↓
↑
大谷石で作られている、壺と水鉢。
これは解体され、日比谷から運ばれてきた。
こちらは今の(たぶん新たに作られた)壺と水鉢 ↑
↓
真正面から見たところ。 ↑
振り返ると金澤監獄などが広がっている。↓
左手前の高台には、塔のような建築物
それを見に進むと、手前に内閣文庫。
中には世界の建築物のミニチュアがいっぱい。
皇居正門石橋飾り電灯 ↓
塔に見えた建造物の前に着いて
見上げると「川崎銀行」と書かれている。↓
↑
玄関の扉が重々しい。
赤色の部分だけが移築されていて
中には金庫や、全国の銀行の写真。
どの銀行も建物は威厳のあり、豪華で重厚。
外階段が増設されていて
展望台となっている。
そこに上がって下界を見ると
広い池(入鹿池=いるかいけ)が光っている。
大明寺聖パウロ教会堂 ↓
明治になってキリスト教信仰が許可され
日本で最も早く建てられた教会。
長崎県から移築された。
私の眼は柱にくぎ付け👀‼️
間伐材のような細い木材を
束にして太い柱にしている!
長崎で見たキリスト教の教会で
こんな木造の教会は見なかったと思う。
そこから金澤監獄の門の前を通過。
中に入って見たいのはやまやまだが
網走監獄に入ってみたことがあるし
他に見たいところがいっぱいで、時間もないし…。
ちょうどそこにバスが来たので乗車。
窓から撮れるかぎり撮影。
聖ザビエル天主堂
これは京都の河原町三条にあって
1967年に解体、移築された。
私が京都に来るちょっと前まであったんや~。
ステンドグラスが美しいようだけど
それより見たいのは、病院や兵舎など。
その最寄り駅、無声堂前で下車。
13時~明治期のアンパンが
売られるとのこと。
20分前なので、コンビニで買って
持って来た枝豆などを食べながら
10分ほど待っていると
長い行列ができている👀‼️
慌てて最後尾に並んだところ
ギリギリ買えた。
私の後ろの人たちは替えず、気の毒。
油で揚げたような感じだが
アンドーナツとは違う。
でも、現代のアンパンとは大差ない
アンパンを食べてから
日本赤十字社中央病院病棟に。
登録有形文化財となっている建物は
多いようだが
この標識は他では目に入らなかった。↑
これは病院本館の破風に掲げられていた
鳳凰を浮き彫りにした彫刻の額
↓
中に入ると、5台のベッドが並んだ病室。
入り口のすぐ左横に器具陳列棚と
ベースンスタンド・ケッテルスタンド・採血台
棚の中には、ガラスの注射器
のう盆・ケッテル・薬瓶…
今は使われてはいないけど
私が働いていた時は
使っていたものばかり。
ということは、私の若いころは
明治時代から
変わっていなかったということ👀‼️
ショック😓
さらにショックだったのは
朝・昼・夜の患者給食😨
これって、我々が学生時代の給食より上等!
特に朝食
我々のはトレーの上に皿もなく
・食パン
・マーガリン(or ジャム)と
・果物が1個
これらが、コロンと乗っていただけ😩
床頭台も格調高い木製。
隣の部屋には
看護婦制服のワンピース。
今でも着られ気品があるデザイン。 ↓
↑
浮世絵風の絵は、白衣姿の看護婦
“おしん”のように
わずかばかりの大根飯しか食べられず
泥だらけになって
ボロを着て
口減らしに身売りされて…
そんな時代の少女にとっては
日赤の看護婦は
雲の上のエリートだったのだろう。
その隣の部屋には担架や
↓
負傷した兵士の処置・手術道具が。
↓
これは、旧日赤病院の写真。
外に出ると京都の市電
今は村内を走っているが
乗る暇がなかった。
そこから、歩兵第6聯隊兵舎に。
下士官の二人部屋 ↓
食事も陳列されている。
「えっ、こんな少ない量?」
と思えるくらいの量。
立派な軍服や銃もズラリ ↓
食うや食わずの暮らしをしていた
貧しい家の少年にとっては
美味しい食事をして
こんな立派な服を着ている軍人は
あこがれの的だったんだろう。
銃を並べてある台にデジカメを置き
(初めてカメラを置ける所があったので)
記念自撮り。浮かない顔 ↓
こんな場所でニッコリしていたら
ヘンやわな~。
外に出て、次は名古屋衛生戌病院に
この中には衛生博覧会に
展示された
寄生虫の生育過程の模型など
品々が展示されている。
↑
コロリ(コレラ)封じの まじない絵なども
↓
島津製作所で作られた国産第一号の
X線撮影装置
など、いろんな展示物を見て
建物を撮ることに
意識が向かなく児っていた。
建物の外観や内部の写真は
明治村のHPにたくさん載っているので
ぜひ、こちらからご覧ください。
もう足が痛くて歩きたくなくなり
金沢にあった
無声堂(第四高等学校武術道場)
これだけは見たくて入ったが
↑
一番見たかった稽古用具には近づけず…😥
賑やかな音楽が聞こえる
入鹿池の方に進むと
樋口一葉・滝廉太郎・夏目漱石・松井須磨子
に扮した
4人の若者が明治村の発展を願う
歌を歌って踊っている。
しばらく座って休んだ後
14:30のバスに乗り
往路と同じルードで
名古屋駅に帰った。
広くて見たいところがいっぱいで
アップダウンもあり、疲れた~。
あと2~3回は行かないとアカンわ~。
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