題名が長い!でも、どう付けていいのか解らないのでそのまんまにしました。
前の記事42歳の私で、きものコレクションがメインなのか乳がんがメインなのか解らない感じで言葉をはし折ってしまっているなぁ~と思ったので、少したします。
私の乳がんを疑いもしなかった事、検診に目もくれず他人事のように先延ばしにしたことへの後悔の気持ちは、術後に一段と強くなりました。
きっと、そのビジュアルとして見る傷、身体、これが現実を突きつけてくるからでしょうね。「乳がん」という現実。
だから、いろんな事がめぐり、後悔が日増しに強くなっていきましたね。
特に、放射線で毎回、少しずつ肌が濃く焼けていく様は、私の心にも同じような後悔の色を日々塗り重ねて迫ってきました。
何故、全摘までして、この無くなった胸に放射線をあてつづけなければならないのか。あの時、病院にいっていれば、ここまで自分の身体を痛めつけなくともよかったのに。きっと。と。なんで?なんで?と。
でも、その気持ちは不の連鎖をつくるだけだから、私はその皮膚を綺麗にすること、普通に生活すること、病気で失ったものより、得たものを意識することで、自分を肯定してきたのかもしれません。
そして、1年検診でとりあえず、「がん」をこの身体に無いことを確認し、ヤツに勝った!その事で再建へと駒を進めた。
再建は、身体の・・・・胸の再建ではあったけど、私の後悔という気持ちからの再建でもあったような、今はそんな思いもしています。
そして振り返れば、命に限りがあるのなら、その生きた日々がどれだけ自分にとって輝いていたかという事が大切なのではと、色んな人・出来事が教えてくれた気がする。
また、この思いは変化するのかもしれないけど、私は弱いから・・・・・・
その時はまたその時かな~~
だって、医療も人の身体も心も、ずっと歩き続けてるから。歩いてる限り、止まる最後まで前をみてなきゃ~
遠回りでも前をみてれば進める。後ろを振り返るのは、その道を受け止め確認・検証するだけでいい。通り過ぎた道へ精神的に迷い込んでも時間の無駄だからね~
無駄な悩みって、お肌にわるいのよん