昨年の春、そう、ちょうど桜満開の京都へ出かけ、桜は見たものの、肝心の映画を見れずにぷりぷりなのよ~って内容の記事を携帯から更新した記憶がある。
見れなかった映画「デザートフラワー」
今日、レンタルで借りて見た。1年越しの念願達成!!と、めでたし、めでたしと思えるハッピーな内容ではなかった・・・・・・
この映画の大枠のストーリーは、アフリカの遊牧民の少女ワリスがそれこそ裸足でトップモデルまで駆け上るというシンデレラストーリーの側面もあって、そのことに注目すれば、爽快な映画のはずなのだが・・・・・・(詳しい内容に興味のある方は検索してみてね)
そのストーリーの中心に大きな問題がありすぎて、見終わったあとは、辛かったなぁ。
FGM問題。
アフリカなどで幼い少女が、女性器切除を慣習として強いられている現実。
この根絶を訴える活動のことは少しは知っていたけど、実際にその当事者が事実にもとずきヒロインとなったこの映画を見たら、単なる人権、女性差別などの言葉では済まされない強い痛みがあった。
ラスト近くの、ワリスが「人生が変わった1日」として回想する3歳の時にされた女性器切除シーンは女性器という問題をはるかにこえた残虐で悲しく切ない「殺人」といいたいシーンだった。目を覆う。
それが慣習として、
当たり前のように、
疑う心もその大きなストールで覆われたかのように、
鬼畜ではない母親の手の中で、
砂漠の真ん中で、
意識のある幼い少女に・・・・・・・・・・・・・・・少女の身体の真ん中にメスを突き刺していくのだ。女性の手で。
殺人行為でしょ。
人が人によって、その性別の違いで人としての価値に意味を押しつけられ、女性であることをことさらに誇張されるがゆえに女性器切除というおぞましい慣習にのみこまれていく。
そんな現実を、全て、人間が、群衆が、作り上げてきたのだ。そして、この現在でもまだ続いている。成熟したといわれるこの社会で。その事が何よりの恐ろしさで、私が目を覆う正体だったのだろう。
そういう意味でとても怖い映画だけど、だからこそ避けないで、多くの人に見てもらいたいなぁと思った。そう思いここで書くことが、私にできる、その恐怖の軽減でもあるから。
デザートフラワー。とても美しくって、悲しくって、怖くって・・・・・・・・・・・・・・それでも心動かされる映画だった。