今日は久しぶりにジョージ・ミュラーの下絵を描いています。
孤児院をスタートしたばかりなのに頭の病気で、半年も休まなければならなかったジョージですが、人間的には本当につらかったでしょう。
その時、ドイツの実家に帰り父親たちに再び神様の話をしました。
救いがよく分からなかった父親でしたが、今回は、少し分かるようになってきました。
どんなに、厳しい状態でも、神様について何度も語ることが必要だと感じました。
このドイツ旅行の結果、12人の男性と3人の女性が、ジョージのメッセージを通して献身し宣教師となったのです。
表面的には、失敗と思うような時でも、私たちがへりくだって行く時、神様が業をなされるのです。
台湾では、何度か日本の牧師を通してリバイバルがおこっていますが、いやしを通して、神の力が各地に広がっていった証がたくさんあります。
そんな中、大正15年ホーリネス教団の大井芳枝と言う女性は、台湾の山岳にあるアミス族である月眉村の村長の息子と結婚をしました。
当時日本の政策で、山岳伝道は禁止されていましたが、夫になった方は、台北師範学校を出た方です。
写真で結婚が決まり、芳枝さんは、汽車・船・汽車・トロッコに乗り、橋のない川を胸までつかって渡り月眉村にたどり着き、夫になる方に初めて会ったのです。
両親の家には、首狩り族のしるしであった人の首を切った刀が3本飾ってありました。
言葉は通じないし、日本の新聞では、恥さらしだと批判されながら彼女は伝道したのです。
赤坂教会のいやしの器だった井上牧師が台湾で奉仕された時、70代半ばになっていた芳枝さんとお会いになっています。
すでに、ご主人を失くされていましたが、45年の間に、ご主人の親族から伝道師5人・牧師2人が与えられ、教会は12ヵ所も与えられたそうです。
本当に、神の働きのための使命婚ですね。