まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

献金をささげる心!

2012年09月01日 | まんが


ジョージ・ミュラーのお話は、今回は献金ことです。
ある人が、たぶん煙草だと思うのですが、「それをやめて、献金します。」と神さまに誓ったのに、止めることも献金もしませんでした。
そして、すっかり忘れていたのです。
しかし、何か問題が起きて、かつて誓ったのに献金をしなかったことを思い出したのです。
そこで、悔い改めてあまりよくない習慣も止めて献金をしてきました。
誓ったことは、果たさなければなりません。
また、神さまへの献金は、いやいやではなく、喜んでささげることが必要です。
金額ではなく、心が重要なのです

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孤児院!

2012年09月01日 | まんが


明日は、月に一度の東京カリスマ聖会があります。
第一セッションのゴスペルライブTVは6時から、第二セッションは7時からになります。
新宿ハイヤット・リーゼンシー東京でお待ちしております。
今日は、ジョージ・ミュラーのまんが「ブリストルの風」のストーリー作りをしています。
ジョージの証を読んで、オランダのファン・ヘット・リンデンハウトと言う人が、孤児院を始めました。
その孤児院をジョージが訪ねた時のお話です。
私たちの教会でも、ジョージと同じ信仰に立って孤児院を運営しています。
カンボジア・ザンビアなどと、日本にもこれからできるのです。
一人の神に聞き従った方の証が、世界中のクリスチャンの信仰を引き上げています。
自分の、作品もそんな作品になって欲しいと祈っています。

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徳川慶喜と、それからの一族

2012年09月01日 | 歴史


今日から、9月ですね。
関東地方の一部で、雨が降ったようで少しは涼しくなっています。
私の街では、ほとんど降りませんでした。
最近読んだ本で佐藤朝泰さんの「徳川慶喜と、それからの一族」と言うのがなかなか興味深いものでした。
明治になって、徳川慶喜が謹慎なり、静岡で明治30年までいましたが、その30年間で彼は2人の側室から」20人の子供をもうけました。
そのうち、7人は夭折し、13人が成長しました。
子供たちは、丈夫に育つようにと、質屋など民家に里子に出され、就学年齢になったら東京代々木にあった徳川宗家から学校に通っています。
これだけ子供がいたことが、それからの徳川慶喜家の繁栄につながったわけです。
慶喜のお母さん自体が、有栖川宮家出身で、正妻も一条家の養女で、公武合体がなされていたわけです。
明治になってから、慶喜は謹慎は解かれましたが、平民のままでした。
ところが、明治30年に東京に出てきて、2年後に公爵になったのです。
そして、慶喜の孫の喜久子が、高松宮仁親王妃になった時、徳川一族はおおいに喜びました。
それから、悲劇の会津藩主・松平容保の孫の勢津子が秩父宮妃になり、三笠宮妃の百合子は、慶喜の八女・国子が嫁いだ大河内家の系類だそうです。
つまり、大正天皇の3人の子供の奥さんは、みんな徳川家の血縁なのです。
そして、慶喜の息子の奥さんも宮家から嫁いでいるわけです。
とにかく、皇室と徳川家と言うのは切っても切れない関係にあるわけですね。
日本の国の背景を教えられた気がしました。

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