先週から、神学校のテストシーズンに入りました。
今日も、テストがありますが、今日は受けるのではなく採点の方になります。
これも大変なのです。
クララのお父さんのホイットニーは、アメリカのニューアークと言うところで、商業学校をしていました。
そこに、幕末時代、日本人たちが学びに来ていました。
お金のない者には、いつか出世してからでいいと言って只で教えていたのです。
生徒のひとりに、勝海舟の息子小鹿(ころく)のおともで付いてきた富田鉄之助と言う方がいました。
富田は、簿記の勉強をしていましたが、英語があまりできないので、ホイットニーの奥さんのアンナから英語を習い出しました。
ある時、富田は聖書を通して英語を勉強したいと言いだしたのです。
アンナは、あまり熱心なクリスチャンではありませんでしたが、教えるために聖書を学ぶようになり、熱心な信仰に変わったのです。
そして、日本に伝道に行きたいと言う思いが与えられました。
森有礼が、日本にも商業学校が必要だと思い、ホイットニーを校長にして学校を作るつもりで、話を進めていましたが、官立では無理と言うことになりました。
そこで、私立で作るしかないという話がなされている頃、ホイットニーの家族がすべての財産を処分して1875年(明治8)日本にやってきました。でも、学校はできていなかったので、勝海舟が1000ドル(約2000万円)出して、森が私立の学校を作り、自分のできたばかりの洋館に住まわせたのです。
ところが、翌年、森が清の大使として中国に行く時、家や学校を東京府に譲ったのです。
その後、ホイットニー氏は、学校を首になってしまったので、勝が怒り1000ドルを返すように、そのうちの700ドルをホイットニーに渡すようにと言いました。
住むところの無くなった、ホイットニーのために、勝は自分の家の敷地に家を建て、ただ同然で貸したのです。
それが縁で、三男の梅太郎と、ホイットニーの長女クララが結婚し、勝家の子供や孫がクリスチャンになりました。
勝海舟も、無くなる1週間前に信仰告白をしています。