今日は、私のテストの最後の日です。
まだ、来週まで受ける方もいます。
本当に、テストは嫌いですが、テストがないと勉強しないですよね。
それを思うと、テストがあることはいいことなのだと思います。
それでも、できたら受けたくないです。
つぶやかないで、感謝して、100点に近い点が取れるように祈って受けます。
ウイリアム・アンダーソンという 医師は、1873年(明治6)35才の時、日本にやってきました。
品川の海軍病院に勤務しながら、海軍医学校で軍医学生を教え、脚気の研究もしていました。
当時の日本は、脚気で亡くなる方が多かったのです。
和宮・静寛院宮も、侍女が脚気で亡くなったすぐ後に、自分も脚気で39才の若さで亡くなっています。
だから、重要な働きをした方ですね。
また、日本美術に興味を持ち、1880年(明治13)イギリスに帰国しました。
膨大な日本、中国の絵画と美術品を収集した品は、今日の大英博物館における日本美術コレクションの中核をなしています。
1886年(明治19)の48才の時、『日本絵画芸術』The Pictorial Arts of Japanを発表しました。
これは、英語で著された 初めての本格的日本美術史です。
いろんな方が、明治時代活躍していましたね。
NY市では、肥満対策に炭酸飲料のラージサイズを禁止する方針が決定されました。
夏はやはり炭酸が飲みたくなりますよね。
私も、0カロリーの炭酸飲料をよく飲んでいます。
ところで、昨夜は突然吐き気がして、お腹もはって具合が悪くなってしまいました。
夏バテが出たのかもしれません。
休みなしで、来ているので、少し休もうと思いますが、締め切りがあるので、そうはいかないのです。
ところで、今調べている資料にはたくさんの宣教師たちが出てきます。
そのうち、長期で、日本に滞在された方々で、日本の地で天に召された方々もたくさんいらっしゃいます。
経歴を読むたびに、本当にありがとうございましたと頭が下がります。
聖公会のウィリアムズ主教は、安政6(1859年)30歳で来日して、日本聖公会を建て上げました。
東京の大火で、二度も家や礼拝堂を焼かれたこともありました。
66歳の時に、京都に住んで、京都聖ヨハネ教会など3つの教会を管理していましたが、目が見えなくなり、自分の行こうとして いた場所を忘れしたり するなどの老衰症状が顕著にみられるようになってきました。
そのためウィリアムズはアメリカへ帰国しました。
1909年(明治42)80才の時には病状が悪化したため入院しましたが、日本語を話して看護婦を困らせたそうです。
ウィリアムズは自分について知られることを嫌い、日本から帰国する時、 自分に関する資料を全部燃やしてしまったそうです。
一粒の麦となって天に召されましたが、墓碑には「道を伝えて己を伝えず」という言葉が刻まれています。