ジョージ・ミュラーは、カナダ・アメリカへと宣教に出ましたが、1878年、ワシントンで大統領と会見しています。
この時の大統領は、、第19代ラザフォード・ヘイズです。
それより遡ること、7年前の1871年、日本の岩倉具視をリーダーとする岩倉遣外使節団(岩倉欧米使節団)が、やはり大統領に謁見しています。
この時は、第18代グラント大統領です。
グラントは、岩倉たちにキリシタン迫害について非難しました。
この使節団に、当時密航してアメリカで学んでいた新島襄が正式に認められて通訳として随行しました。
この後、新島を連れて岩倉たちは、ヨーロッパに行きますが、キリシタンの迫害をやめろと言う各国の非難が続きました。
これが切っ掛けで、日本のキリスト教に対して黙認されることになったのです。
この時の。グラントは、大統領をやめてから、日本に来ています。
日本では、アメリカ人たちの歓迎パーティー・明治政府の歓迎会・森有礼邸でのパーティーなどが続きました。
達歌舞伎も、アメリカをたたえる出し物で、大歓迎しています。
ところが、あまり長く滞在したので、お金が膨大にかかり、暗殺するという強迫状まで届いています。
面白い、歴史のこぼれ話ですね。
昨日は、必死でジョージ・ミュラーのマンガのペン入れをしていました。
何しろ今回は、ジョージが海外宣教に出ているので、汽車や船などを描く場面が多くていつもより時間がかかってしまいました。
特に、オランダの孤児院に時間がかかってしまいました。
二つの資料を見ながら細かく全景を描いたからです。
また、ジョージの時代の、汽車などの資料をネットで探して、それを描くのですが、ぴったり同じ時代と言うのがないのです。
だから、多少のずれはやむを得ず、アレンジして描いています。
専門家が見たら、これは違うと言われてしまうかもしれませんね。
どこかに、こんな形の汽車が走ってるという夢を見たなんて、言い訳をしなければなりませんね。ははは・・・。