先ほど書いた記事が、どこかに行ってしまいました。
行方不明です。おかしなことがあるものです
1906年のアズサストリートのリバイバルの前、1900年から、パーハムと言う方が、聖書を学ぶ学校を作り、学生たちと使徒の働きを熱心に学びました。
学生たちは、そこから、賜物の働きの土台として、聖霊のバプテスマがあることを発見したのです。
聖霊のバプテスマとはクリスチャンの内に住んでおられる聖霊なる神さまによって最初に満たされることを言います。
それは、多くの場合、異言が伴うものでした。
異言とは、人間には理解できない神さまから与えられる新しい言葉です。
外国語の場合もありますが、多くは、理解できない言葉で、解き明かしが必要です。
パーハムたちはどうしたら異言が与えられるのか聖書を調べました。
そして、聖書にあるように、相手に手を置いて祈ったのです。
すると、聖霊のバプテスマを受けて、異言が与えられたのです。
ところが、彼らは迫害されて学校も閉鎖されてしまいました。
その後、パーハムは、いやしを求めている人たちの集まっている温泉街に行き、路傍伝道をしながらいやしのために祈りました。
すると、次々と病のいやしを受ける方々が現れたのです。
彼は、再び学校を作りました。
1906年、そのパーハムから学んだ、黒人のシーモア牧師がロサンゼルスにやってきました。
ところが、教会で、聖霊バプテスマや異言に関して話をすると追い出されてしまったのです。
しかし、貧しい教会員が、自分の家で集会をするように招いてくれたのが、ボニーブレアハウスです。
そこで、集会が持たれると、人々は聖霊に満たされて、異言を語りだしました。
あまりにも多くの方々が、集まり喜んで叫び祈ったので、とうとう床が抜けてしまいました。
その後に、アズサストリートのかつて馬小屋だったけれど、火事で半分焼け残った建物を借りて教会にしたのです。
そこからリバイバルが起き、1000日続きました。
これが、20世紀初頭のアズサストリートのリバイバルだったのです。