携帯電話のメモリーをお店の人に見せて部品を買ったのはいいけれど、そのメモリーがどこを探してもありません。
信じられない!
そういえば、戻した記憶がないので、はずしたまま落としたのではないかと思っています。
がーん!感謝するしかないですね!
メモリーに入っていたのは、そんなに重要な写真ではないので、まだ感謝です。
明日の朝、すぐにお店に電話するつもりですが、本当に本当に感謝ですね!
最近は、再びアクセスが増えてきました。
ここの所、歴史関係は書いている時間がありませんでしたが、今週は、マーリン・キャロザースさんのマンガを仕上げたら、次回作のシナリオ作りになるので、また歴史のこぼれ話を書きます。
これは、けっこうエネルギーがいるのです。
所で、次回作ですが、思っていた以上に西郷隆盛が出てきそうです。
勝海舟は西郷隆盛のことを、尊敬していたので、西郷が反乱軍のリーダーとして、政府軍に負けて死んだ後、勝はその記念碑を作ったのです。
そんなことをしたら、明治政府に睨まれてしまいますが、そこがまたいいところです。
数年後、西郷の関係者達が、記念碑を建てたいと勝の所に相談に来た時、「それならすでに建ててあるよ。」と、ひょうひょうとして言うわけです。
一同、びっくりです。
勝は初め自分の屋敷内に作ろうとしたのですが、反対した人もいたので、別邸の近くのお寺の中に作りました。
そのお寺も、移築されたので、大正時代に、太田区の千束池公園の勝海舟夫妻のお墓の側に移築されたのです。
西郷と勝の会見の時、西郷はすでに聖書を読んでおり、その影響がかなりあったと言われています。
十数年前に上野に行った時、西郷さんの銅像の回りに、関係団体の方々がたくさん集まっていました。
たぶん、西郷隆盛の記念日だったのではないかと思いました。
坊主頭のいなせなお兄さんたちがたくさんいましたが、結構かっこいいなーと思って見ていました。
銅像を見た奥さんが「似ていない、うちの人はこんな顔ではなかった。」と言った話は有名ですが、写真が一枚もないのでしかたがないですよね。
写真は、西郷隆盛ではありません。
私の弟ではないかと言ううわさもありますが、違います。ははは・・・。